先日徳島の五果会(故東甫白亭氏門下—今は豊浦春光さん)の賛助作品のためにふと思いついて「守破離」と書いた(表3に掲載)。そのすぐ後だったか「墨」の太田編集長から電話があって「いつも心にある言葉」の特集を組み […]
今年にはいってからである。あるバラエティー番組を見るともなく見ていたら、若い男の芸人の部屋がそのまま、いつものまま映されていて、その汚さに驚いたことがある。汚いといっても不潔ではない。ただ雑然としていて、ベッドの上は何で […]
あるとき、どうしても「短絡的」ということばを使いたくて辞典を開いたところ、電気の回線がどうのという意味以外なかったことがある。大昔の話である。最近「魅かれる」と使おうと思っても「魅」には「ひ」の読みがないという。仕方なく […]
何を書こうかと思う。書いたら物議を醸しそうなものも含めてネタらしきものはいっばいある。「ボケ」の話もいい。しかしこれは先月書いたばかりなので、もう少しあとにしよう。 以前は書きたいことを根こそぎ書くと、それでネタが尽きて […]
新しく担任を持って、1クラス50人ほどの名前を1週間もかからずに覚える同僚がいた。私は半年でやっとくらいだっただろうか。その人は努力もせずに覚えていた。しかも私がとりたてて何の努力もしなかったのが悪いといえばそれまで。ボ […]
上級者向けのかな手本をいただいている土橋靖子さんが、10号のゴリゴリが面白かった。あれ、続きは後日と書いてあったんで来月でしょう、と。昨年10号の巻頭言「一般論」のことで、ゴリゴリはその中にある。 その気はなかったが […]
昭和54年2月、読売新聞大阪本社の婦人部で名村、加藤、清野の3氏に会い、4月からの連載を頼まれた。毎週1回婦人欄に書に関する記事を書いてほしいというもので、その日は引き受けて帰って来たが、多分いきなりではなく、それまで […]
小学校までの歩いて5分くらいの間に看板屋さんがあって、銀行や商店の看板、ときには映画館用の俳優の顔なども書いていた。面白くてじっと長い間しゃがんで見ていた。 小5の最初の夢は看板屋さんになることだった。しかしもうその […]