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母のDNA

新しく担任を持って、1クラス50人ほどの名前を1週間もかからずに覚える同僚がいた。私は半年でやっとくらいだっただろうか。その人は努力もせずに覚えていた。しかも私がとりたてて何の努力もしなかったのが悪いといえばそれまで。ボケ防止のための「老骨に鞭打って」 の話は先月書いたばかりだが、そのボケが最近特にひどくなってきたのか、いつも見ている人の名前が出て来ない。稽古日に半切の手本など夢中になって下を向いたまま、今前に座っている人はダレだったかとか、ふと思って、いざ落款を入れる段になって目を上げたときなどが一番危険で、一度詰まったらなかなか元に戻らない。

小坂先生が奈良に移られるずっと以前、多分70歳ごろだったと思うが 「君の名前(雅号) は何だったかね」と落款を入れる直前に目の前の門人に訊ねた。門人は一瞬間を置いて 「竹泉です」 と。遠藤竹泉さんは私より古い門人で、すでに退会している人だが、帰りに門を出てから「オレの名前をなあ-」 と私に愚痴った。もうしょうがない、トシだよ、とはいわなかったが、内心私はそう思って気にもとめないでいた。
ところがつい先日、門人歴数10年の人に同じことをやらかして、遠藤竹泉逸話を鮮明に思いださせてもらった。

どんなことにせよ咄嗟に行動ができていない。今何を考えていた、きのうは何をした、何を食べた。あれはきのうだったかおとといだったか、明日はどんな日程-手帳が頼り。大事な、印まで押した作品はどこへ行ったー。
でも、まあそのころの先生より今の私が年上だからまあいいかー。しかし、この「まあいいか」がいけないらしい。過日家内と、今後は「絶対」 ということばを使わない、と約束をしたのに、この上に 「まあいいか」を加えなければいけなくなりそうである。どちらも私の口癖で、これを禁句にすることは私にとっては大変なこと。
何とも思わずに使っていることばで、これから禁句の候補に上りそうなものが年々増えていくように思う。同じことを短時間のうちに何度もいうのはもう少し先のことか。やっと思い出す、しかしきのうしたことが遠い昔のことのように頭の中でボヤケている、今日の薬は飲んだっけ。

後日読み返したいと思うようなことを綿密に書いた手帳が数10年分本棚にある。思うに母親も同じことをしていた。バカなことをしているとまでは思わないが、家内は私を完全にバカにしている。どうせ捨てるものなのに、お母さんを見てごらん、と。しかし何年前であろうとその日の情景が目に浮ぶのが楽しいだけである。母のDNAか。
こんな愚にもつかぬことを書いていると、ボケが少しでも遅くなるかもしれない。

江口大象 (書源2014年2月号より)

 
   

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