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続一般論

 上級者向けのかな手本をいただいている土橋靖子さんが、10号のゴリゴリが面白かった。あれ、続きは後日と書いてあったんで来月でしょう、と。昨年10号の巻頭言「一般論」のことで、ゴリゴリはその中にある。
 その気はなかったが、言われて何となくうれしくなって書くことにした。私が「後日に譲る」と書いたら、だいたい1年か2年あと。ということは頭の中からそのことがもう消えているということ。

 でもまあ頭から消えないうちに書くことにしましょう。3か月前に書いた(実際はもっと前に書いている)「一般論」の続きである。一般論でいえば書けば書くほどよくなるのは間違いないというあたりまえのこと。しかしそれはあくまでも一般論であって必ずしもそうとばかりは言い切れない。人による、習熟度による、先生による、見方による、最後に国民性にもよる。中国など石碑は別として、書道史に残っている名品の数々の中で、2枚以上書いたと思われるものがありますか?
 あそこで言いたかったのは、本人(あるいは先生)の思うこまかい欠陥はあっても、大まかに見れば1枚か2枚、せめて3枚目ぐらいまでのものの方がいいのではないかということ。もちろんそれまでの血のにじむような古典研究の上に立ってのこと、は云わずもがな。
 小坂先生などメモの大福帳の作風のすばらしかったこと。「晩年」といっても70を過ぎたころの晩年に、先生が20人展の制作で苦しんで、表具師の湯山春峯堂さんに、もう3日待ってくれとかの電話をされていたこともあったが、多分メモ作品、あるいは草稿作品の方がよかったのかも、と思う。先生は制作に当たってはまことに神経質で、自作を見つめて「この線が1、2分(5ミリぐらい)長いんじゃ」とか「右の余白を1分切れ」とか—。

 過日といってもつい先日(昨年の10月6日)のことだが、小坂先生の23回忌の法事が、元の先生宅の近くの「法楽寺」で行われたが、そのときのお返しの品は先生の作品であった。ちゃんと表具をした小品かやきものの陶板か皿。どこかに出されたものの控えの作品も中には数点見かけたが、立派なものばかりで、皆さん当然満面の笑みの中で帰途につかれた。

 旧号の好きな佐藤芳越氏へ「書典」ほかの雑誌をいつ頃送ったのか、多分半年はど前だったかと思うが、それからすぐ「こんな記事が見つかりました」といってコピーをいただいた。
 何とまあ昭和34年の5月号で、そこには中野南風氏が関展賞第1席を受賞したご自身の感想文と、続いて私が「関展を見て感じたこと」、を書いている。私はただの平入選で、2席山田勝香、3席池田青軒、書芸院賞森皎如、そしてその後に私を含めた入選者が34名。昭和34年といえば私は24歳になったばかり。大阪へ移り住んで1年そこそこ。
 その上書いている内容がひどい。ひどいというより24歳の大学卒業直後の若僧が偉そうに自論を吐いている。名前もまだ本名の「啓爾」である。

 ここで原文を出そうかと思ったがやめた。なぜか。理由は簡単でこの巻頭言を書いた翌日、20人展作に挑戦したが、メインの作品がどうしても「不出来」にしか見えない。何校書いただろう。書けば書くほど悪くなるように思えて又書く。
 こんなこと、書く資格ありませんね。

江口大象 (書源2014年1月号より)

 
   

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