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一般論

 それまでに何度か添削を受けただろうに、明日が締め切りだという日に、小坂先生宅へ選別をしてもらいに伺ったところ、全作品に朱を入れられた。59年に若きご婦人3人で3人展なるもをしようと一大決心をして、1人10数点の制作に励んだときのことである。

 これは当時有名な話で、これ以上は書かないが、3人とは金谷桃果、矢内江春、渡辺蓼江で、見るからに元気一杯の作品であった (旧号をお持ちの方は18巻5号をご覧下さい)。
 先生は○○展選別会は別だが、普段の稽古の際は、一番いい作品に朱を入れられた。それも「ほとんど全ての字に」である。私なら「1行目の下の字を2行目の上へ持って行けば済むよ」と口だけの添削で終わるところを、先生は1字を次へ移した朱筆の手本を作品の上に書かれた。二×八縦4行ものですらそうされた。どの字のどこが悪かった、ではなく、添削は新しい手本をいただくことに近かった。ある人はその朱の手本をカゴ字にとって墨を埋めていた。
 私もそんなことを知らなかった20代の頃「社中展をするそうじゃないか」といわれたので「作品を持って来い」か?と勝手に思って、その時出来ていた小品1点を持って行ったところ「印の位置が悪い、ここだよ」と指でゴリゴリ。多分なけなしのロー箋だったと思うが、印はぼやけるほどつぶれて作品はパー。作品自体のことにはひとことも触れてもらえなかったが、当然「もっと書かんと」 であったろうと今思っている。

 私は書を始めた中高生の頃、半紙を10枚単位でしか買えなかった貧乏人であったことと多少は関係するかと思うが、1点の作品をつくるのに数枚か、多くて20数枚しか紙を使わない。といって当時皆がやっていた新聞紙や反古紙の裏に書くこともしない。1、2枚草稿を作ったらいきなり本番である。これは子供の頃から未だに続いている私の悪癖?で貧乏だったことより性格からくるものだと判断した方がよさそう-。
 もう一つ。○○展選別会の際、ズッと並べられた自作の前で「○○先生はこれがいいといわれましたけど-」とか「私はこれがいいと思っているんですけど-」など小坂先生の前で云おうものなら「君はだれの弟子なんだ」か「自分で選ぶんならそれを置いて帰んなさい」 で、次の人、となった。
 私はたいてい努めて新しい作で、本人が出したいと思っている作品にする。一般論でいえば作品は書けば書ほど良くなるものである。
 この辺のこともう少し書きたいことがあるが少々くどくなりそうなので後日に譲る。

江口 大象 (書源2013年10月号より)

 
   

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