文字サイズ

中国と手を取り合って

何を書こうかと思う。書いたら物議を醸しそうなものも含めてネタらしきものはいっばいある。「ボケ」の話もいい。しかしこれは先月書いたばかりなので、もう少しあとにしよう。
以前は書きたいことを根こそぎ書くと、それでネタが尽きてしまうのではないかと不安であった。しかし例え同じようなことでも視点を変えて書けばいくらでもある。強いて書に関わらなくてもいいじゃないかとも思いはじめたのである。

さて、臨書と創作をどう結びつけたらいいのか、の話は後日に譲るとしよう。この間題は百家争鳴。私の意見は決まっているが、どう書くかの整理がついていないのでまだまだ—-。
で、古人と稱する数百年以上前の中国人と、今世界一の大国になろうとしている中国人とは人種が違ってきている、と思うが如何、こんなことでも書こう。

私が尊敬してやまない明代以前の文字を書いた人々、それが漢民族であれ異民族であれ、文字を見る限り今の中国人とは全く別人種であるかのように思う。貴族文化から科挙制の一般人登用の開かれた文化に移行しても、文字から受ける文化と生命力にはさして違いはない。その伝統文化が清代から少しおかしくなった。清代を築いた満州民族はきらびやかな色彩への感覚は鋭かったかもしれないが、白と黒だけの書の文化には向いていなかったのではないか。中国を征服したあとの267年間12代におよぶ歴代の皇帝。乾隆帝に代表されるあの文字の感触、十年ほど前に亡くなった中国書法家協会名誉主席の啓功もその流れを汲むひとりであろうが、少なくとも今の私の鑑賞の、まして臨書の対象ではない。漢民族の文化、教養の高さに触れ、皇帝以下、まわりの役人は相当勉学に励んだこととは思うが、民族の血が文字には出る。
科挙を通して政界人りした時代とそうでない時代とで一応の区別はできるかもしれないが、清代にも末期の1904年まで科挙はあった。だから学問の多寡ではなく—-。毛沢東、郭沫若以下漢民族系の方がいい。もちろん技術だけを云々しているわけではなく、あのヌルッとした肌ざわりが嫌なのである。

今、北方異民族系であった唐の太宗皇帝の文字を思い浮べている。彼の字は大好きである。昭和33年、小坂先生のお宅に初めて伺った際、折手本を開いて「君、何を習いたいかね」と問われ「普祠銘をお願いします」と答えたくらいであるから—-。一瞬、間を置いて「わし、あれはスカン」とあっさり断わられたが、あれは漢民族の匂いである。とすればあの感触は広大な中国大陸の東北に位置する満州族だけの特徴かもしれぬ。
横道に逸れついでの話である。毛沢東から華国鋒になって、一部駅名などが大きくネオンで彼の字になったとき、オヤと思った記憶がある。品が下がったとまではいわないが、気力が落ちたのではないかと-。それ以後の中国人の書、私は政治家か書画家の字しか見ていないが、文字に対する意識が年々下がってきているように思う。参考にして自分の作品にとり入れたいと思うものが見当らない。特に簡体字になってからの書は、たとえそれが繁体字であってもいささかひどい。

現代の中国は、簡体字について「行き過ぎた」の反省があるのだろうか、今日このごろの報道を見ると、都市によっては小中学生から古典毛筆学習を義務づけているところもあるらしい。簡体字しか知らない子供たちが、繁体字の古典を習うことは大賛成であるが、教えられる先生がどれだけいるのか心配する。先生も簡体字世代だと思うからである。
日本も日本の文化を取り戻すべく書美術振興会などを中心に「小学生から毛筆を」と文科省にはたらきかけている。成功を祈りたいが、先生の質の問題で中国を嗤う資格など日本にもない。
ヨーロッパの文化に憧れる、ひいてはアメリカの文化を至上のものとする若手官僚諸氏(それらを育てたのはわれわれ世代ではあるが)よ、東洋を大切にしよう。少なくとも文化だけは中国を含む東南アジアと手を取り合って-。

余談、習近平氏の毛筆の字を見たいですね。

江口大象 (書源2014年3月号より)

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です