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カテゴリー: 巻頭言(他)

漢詩のことなど

璞社錬成会部部長の岩本青雲さんから、今年5月の不死王閣での璞社錬成会夜間講座で漢詩作法について話をして欲しいとの要請があった。漢詩の専門家でもないし、ましてや食後の講座なので、漢詩作法など面白くもないし、聞いている人は眠 […]

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先憂後楽

昭和十三年六月と七月、茨城県霞ケ浦一帯は台風による洪水で甚大な被害を受けた。被害流域は三十二市町村、死者四十五名、浸水家屋は八一、七三九戸。冠水被害は数十日に及んだ。 さて、ここから先は当時帝国海軍の軍務局長であった井上 […]

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60回記念展について

もうすぐ第59回璞社書展が始まる。係りとしては会員の皆さんのご協力で円滑、盛大に実施出来ればと考えている。会期中の来場者の増加や表彰式・懇親会への参加に重ねて協力をお願いしたい。さて、少し早い話であるが、年が明ければ、第 […]

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「草書」に思うこと

競書雑誌の手本ページは、大体が楷書・行書・草書と続くのが殆んどであろう。ところで、日常生活で草書が使われる場面、つまり使用頻度に注目してみると、まず無い。むしろ篆書・隷書は毎日使うお札に印刷されているから、読む・書くこと […]

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偶然は必然のなせる業

あるテレビ番組で椅子職人が、規格物の商品を同型・同質なものにするために力を注いでいる姿をみました。それは商品にするためには必須であるらしく、確かに商品は椅子に限らず、どんなものでも大きさや品質が均一であることが問われます […]

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何もない 見ればある

 陶芸家・河井寛次郎のことばである。作品も他者の追従をゆるさない独特の世界を作った人であるが、エッセイなどもまた寛次郎ならではの言葉づかいで面白い。例えば「仕事が見付けた自分 自分をさがしている仕事」「仕事が仕事をしてい […]

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手本は必要か

昨年、徳島県立文学書道館で小坂奇石先生の折帖展がありました。その折帖はすべてが古典の臨書でお稽古場で弟子に手本として書いたものです。どれもが奇石調で書かれ、手本というより作品として鑑賞させていただきました。特に同一古典で […]

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評価

今年はピョンチャン冬季五輪、ワールドカップサッカー、アジア大会、夏の甲子園高校野球そしてテニスの大坂なおみ嬢の活躍と、スポーツ音痴の小生でさえもテレビ画面に釘づけになる日が続いた。速さ、距離、高さで表示される数字は絶対だ […]

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シーズンオフ

璞社書展や日展の作品作りが終わると、三省会書展の制作は残っているものの、何となく今年の制作は一息ついた気分になる。皆さんはいかがでしょうか。 さて、今年はたくさん字(書)を書かれたでしょうか。小坂先生の没後、江口先生を中 […]

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臨書の意義と目的

最近、書源臨書の部で江口先生が書かれている「王義之尺牘」の臨書が原本と違うが何故かという質問を受けた。江口先生は「臨書をする時には見える通りに書くと間違いになることもある」と言われている。 王義之の現存している筆跡は、す […]

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