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カテゴリー: 巻頭言(江口大象)

閃きの作

昭和四十五年前後私は大阪の北千里にできた教員住宅にいた。四十四年の七月に越してきて、大阪万博が華々しく開幕したのが翌年の四月。たしか入口が数カ所あり、その一つの入口が三階にある私の部屋のベランダから見えていて、その長蛇の […]

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八十歳 万歳

母親の胎内にあるときから人生は始まっているので、年齢は中国風に数え年の方が正しい、とはいつか誰からか聞いたことがある。そうか、ならば私は去年から八十歳なんだ。しかし新聞も何もかも満年齢でしか数えてくれない。これが日本流な […]

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百年後の地図

書は芸術か否かから始まって、戦後にわかに活気づいた書の欧米化運動。どちらが正しいか、これから百年もしないうちに結論は出るだろうが、どちらにも確固たる自信と理論がある。 それをどこかで闘わせてみたいが今はそんな空気ではない […]

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杞憂

今は知らない。私達の時代、英語は文法と和訳しか教えていなかった。だからあの頃多分英語の先生でさえ実用的な日常会話は苦手だったのではないかと思う。もちろん英語の授業は中学にはいってからのこと。しかしそれを最近になって急に小 […]

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まとまりのない話

私の夕食時間は今でもバラバラである。門人が今より遥かに多かった二十年ほど前など、最後に帰る人が夜の十一時を過ぎて、その一時間ほど前から、稽古場にはいって来た順番ではなく、終電時間優先、当然自家用車の人は最後、とかいう時代 […]

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カツラの話

四十年以上にもなるか、家内が行きつけの美容院の主は、最近とみに毛が薄くなってきたらしい。いくら育毛剤を飲んでもこれですよと愚痴る。そこで家内が毛なんてどうでもいいじゃないですかといったらしい。もちろん主人である私の毛のこ […]

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卒業してからが人生

二十歳代前後の若者は約七割が文字を手書きしているという。文化庁の国語調査の結果なので(読売新聞昨年九月二十七日)信じてもいいと思うのだが、スマホばかりいじっている連中を見るとどうも—。 このごろは「漢字検定」 […]

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書の行方の序文

展覧会出品用の参考手本を送ってもらって一字か二字抜けていたとする。 指摘されても絶対書き直さなかった高名な先生が居られた。「すみません」といってすぐに書き直すのは私。高名な先生の話は又聞きだが、すでに数十年前に亡くなられ […]

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標準草書

  「開運!何でも鑑定団」はよく見ている。玩具や道具類、スポーツ選手のサイン入り何とかや靴など興味のないものはすぐパスする。家内が録画したものを見ているので簡単である。日を皿のようにして見るのは書画と焼物。不満 […]

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来年4月のこと

書くことは山ほどある、ネタはいっばいだ、とこの間書いたばかりなのに、さて机の前に坐ると何を書いていいのかさっぱりわからない。 そうだ個展のことでも書くか。私は昨年の10月頃だったか、最後の個展を再来年の末あたりにしようと […]

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