もう恥ずかしくもなくなったので吃音の昔話でもしよう。 五、六歳のころ二十世帯ぐらいが住んでいたコの字形の社宅の裏に大きな広場があり、そこでは近所の中国人の子供達と一緒になって毎日遊びに励んでいた。 中に吃音の中国人が一人 […]
三、四歳で字を覚えはじめ、近くの塾で硬筆を始めたとする。小一で毛筆、硬筆ともに習う。「みなもと」写真版ページの幼年の作品を見てもわかるように、この時代のものは懸命さが伝わるだけでただ書くことに夢中。他人のことなど眼中にな […]
田邉古邨全集(全八巻)は十人程の人に薦めて買ってもらった。ところが私自身がまだ極、一部しか読んでいない。それを過日研洋堂さんが第六巻の「童書について」は是非読んで下さい—と。彼はもう全巻を読破したらしく、私よ […]
朝日新聞に連載されていた、大岡信さんの「折々のうた」は、移り気な私の愛読コーナーの一つであった。私はもう長編は読まない。短編かそれに近い一ページものぐらいしか読めない。今は読みたいものしか読まなくていい週刊誌、それも週遅 […]
昭和十二年七月、慮溝橋事変のため一時日本へ帰って来ている。日中戦争勃発である。神戸へ。そこで進君誕生。天津へ戻ったのは四月。 ところが翌年の七月に天津一帯を襲った大洪水のためまた佐賀へ。年末ここで妹の久美子が誕生するわけ […]
半年ほど前だったか、どこかのテレビを見ていたら大口を開いて笑う女性がいた。一度かと思ったらインタビューの間、顔よりも大きい大口を手で隠すこともなく—。テレビカメラの前とはいいながら大サービスの大笑い、喉の奥ま […]
昨年の「王義之から空海へ」を見たあと家内が溜息まじりに云ったのは「こんないい作品を見たり臨書したりしているのに、なんで書家の字は品が悪いの?」。 品は書道史を見ればわかるように時代が下るとともに少しずつ落ちてきている。ど […]
数年前、近くの法楽寺で「慈雲展」を見た。そこの墓地には小坂先生と向かい合って慈雲の墓がある。僧籍にある人の書は、本人が無欲である限り上手下手とは別に品格は見事に高い。中国南宋禅林の最巨峰圜悟克勤(えんごこくごん)に始まる […]