文字サイズ

徳島の小坂奇石展

  • 投稿日: 2022-10-14

  • カテゴリ: 未分類

佐藤芳越(2022年11号巻頭言)

 今年度の徳島県立文学書道館の小坂奇石展は「驥山館所蔵 小坂奇石の名品」というタイトル(6・11~8・3)で開催された。書源9号の「あいまいもこ」で驥山館の川村文斎さんが、本展の作品貸出し時の様子を詳細にレポートされている。会期中のトークの講師は、もちろん驥山館館長で璞社顧問の川村龍洲先生(以降、氏と記述させていただく。)であった。書道館の学芸員の方の質問に川村氏が答えるという形でトークは進められた。

 璞社会員の方は既に承知されている方も多いかと思うが、小坂奇石の作品がなぜ信州(長野)の驥山館に大量に収蔵されているのか?今回展の図録にも川村氏が「奇石と驥山」の一文を寄せられ、その答えとして、「奇石と驥山が戦前の東方書道会の仲間だったから。」と端的に述べておられる。また、その背景となった戦前の書道界の状況、奇石と驥山の交流を奇石の一文も引用し詳述されている。

 当日のトークでもその点の説明があったが、端的に言えば、奇石と驥山の交流がベースになったのは当然であるが、後年、龍洲氏が奇石の門人になったからである。驥山の長女の佩玉女史が驥山館の後継者として迎え入れた龍洲氏の将来を奇石に託したからである。奇石は書の指導では確信があったものの、その結果としての驥山館の将来を託される事については極めて慎重だったと推測される。それでも是非にとなったのは、自らも戦前の東方で活躍をした佩玉女史が父驥山と奇石の交流を十分に承知し、かつ奇石の実力を認めてのことであったに違いない。かくして、奇石と驥山の交流から、璞社と驥山館が結びつく事となったのである。

 奇石没後、奇石作品は主に①郷里の徳島県立文学書道館、②大阪の法樂寺、③長野の驥山館の3カ所に収蔵された。驥山館については、奇石と驥山の交流をベースに、やはり龍洲氏が奇石門であったことが大きな要因であろう。それにしても奇石の19歳年長の驥山に対する敬慕の念は真摯である。共通項としての漢詩の存在も大きい。

 没後30年を経過して尚、徳島と法樂寺は毎年、また驥山館も機会ある毎に奇石展を開催していただいている。誠にありがたいことである。徳島は奇石と中林梧竹、法樂寺は奇石、驥山館は驥山、奇石、赤羽雲庭の収蔵に大きな特色がある。今回、徳島の地で驥山館の奇石作品が見られるという誠に好企画であった。とりわけ第1回20人展の「高青邱 床屏山水図歌」、第15回璞社展の「陸湘客 酔古堂剣掃一節」等はその代表的なものであろう。

 書家が技巧に長けているのは当然であるが、奇石の書は技巧を越えたところに本質がある。雅致風韻、精神性の高さがある。収蔵先には徳島の生んだ不世出の書家奇石の紹介を今後とも続けていただきたいし、我々も可能な限りの協力をしたいと思う。その意味でもコロナ禍にも拘わらず、長野より川村氏が訪徳され、徳島と長野の縁を披露された意義は大きいと言えよう。(なお図録をお持ちの方は、川村氏の「奇石と驥山」を是非、ご一読いただきたい。)

 

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です