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師弟の縁 —立ち位置の自覚—

仕事でも、芸事でもスポーツでも、いずれの世界においても師弟関係というものは存在する。書の世界も師弟関係は重要である。璞社に限っても、江口先生の師は小坂奇石先生、小坂先生の師は黒木拝石先生、黒木先生の師は小野鵞堂という風になる。
師事するという事は、その人の方向性、将来を決する重大事でもある。
小坂先生は小野鵞堂の競書誌「斯華の友」の最高位者の黒木拝石の字に憧れて師事し、拝石が設立発起人の一人でもあった戦前の東方書道会で活躍し書家としての地位を確立した。

また、既に何度も触れたが、江口先生は高二の時に佐賀県展に昭和23年の小坂先生の日展出品作を参考にして作品を書こうとして、不明の文字を小坂先生に手紙で問合せたところ、小坂先生から思いがけず返信が来た。それで勇気を得て書き直した出品作が最高賞を得て、それを機に、小坂先生に師事する決意を固めたというのである。事実この通りなのだが、なぜそうなったのか。そもそも、高二の生徒が決して派手ではない、どちらかと言えば渋く地味な小坂奇石の字(作品)を見て書いてみようとなぜ思ったのか、また、小坂先生が見知らぬ高校生から来た質問にどうして丁寧な返事を書いたのか、である。私なりの解釈はこうである。中学で野中紫芳に手ほどきを受け、書道少年と地元新聞にも取り上げられていた早熟の江口先生は既に高校生にして、書の質を見る目と表現力を身に付けていたのではないか。また、小坂先生は江口先生の手紙の文字を見て、その将来性を即座に見抜いたのではないだろうか。江口先生は若い頃から日記をつけておられた。私は傘寿記念個展の図録作業のお手伝いをした時にその一部を拝見したのであるが、とても高校生の字とは思えない見事なものであった。ペン字ではあるが、毎日書風が変わっている。あるページは小坂先生にそっくりの書風であるし、あるページは仮名の古筆を参考にしてという風である。もちろん小坂先生は見知らぬ人からの便り、しかも自分の作品に対する質問に丁寧に対応されたということでもあろうが、まさに啐啄同時の縁であろう。江口先生は天賦の才に恵まれた無類の達筆であるが、小坂奇石の質に共鳴したところに達筆一辺倒ではない、質の抑制が加わった独自の書が出来上ったのではないだろうか。その書が自ら言われていた、品のある書に結実したのであろう。(なお、日記の一部は江口大象-書のあゆみ-258Pご参照)

書を始めるきっかけも師に付いたいきさつも人それぞれであろう。無自覚にせよ自覚しての入門にせよ、まさに書を介しての縁である。今日、自分が書いている書の師系、背景となる古典も含めてその淵源を知ることは自らの書を客観視し、今後の展開を模索して行く上でも意義のあることである。自らの立ち位置を自覚して、周りを見る目を持つことにより視野と許容領域が広がり、表現と鑑賞の楽しみも倍加するのではないだろうか。

佐藤芳越(書源2021年9号より)

 
   

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