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聞きたくないことば

「江口君、『何々の中で』といういい方はしてほしくないんじゃ。あれはすかん」
私が教員になりたてのころは、教職員組合の運動が盛んで、その組合ことばによく使われていた。私も「何々の中で……」は、ことばとして好きではなかったので、まして小坂先生の前で使ったのかどうか。しかし前出のことばをいわれたのは事実である。

「なやましい問題の一つとして」など、やたら「なやましい」を入れて話す人がいた。なやましい、は「悩ましいスタイル」の色気の方にしか使わないだろうにと思って聞いていたが、その人は単に「てこずる、ややこしい」といった意味に使っていた。「悩ます」を間違っていたんじゃないか。
「本質的、比較的」はいいが、最近、この「的」がいろんなことばにくっついている。「値段的、スピード的、気持的、力的」。アナウンサーが堂々とやっているから始末が悪い。

聞きたくないことばの最右極が、語尾上げことばと語尾のばしことばである。現代のお母さん方を含めた若者の半数ほどが使っていそうなので、それを厭がるのは「老人」の証拠かもしれぬが、特に語尾上げことばはいけない。馬鹿にされているというか、こちらの人格を否定されている、ことごとにこちらが指導されているようで、一刻も早くその場から立ち去りたくなる。いつか書いたので詳しくはいわないが、その最たるものが、老人の病人に対して、赤ちゃんことばでしか応対しない看護師であろう。

取材を受けたときのスポーツ選手(特にプロ野球)の「応援よろしくお願いします」は何とかならぬものか。その前の「一つひとつ勝ってゆくだけです」も同じ。語彙不足の標本のようなもの。もう少しその人だけから出ることばがいえないものか。
質問を受けて、まず「そうですね-」といってしばし考えるのも、そろそろ鼻についてきた。ほかに何といえばよいのか、無言では間が持たないだろうし、名案があるわけではないが、皆が連発している。

江口大象(書源2018年11月号より)

 
   

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