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六月雪

六月と言えば、雨、梅雨である。梅雨と言っても最近はゲリラ豪雨などの異常気象もあり、従前の雨の風情は乏しい。今年も自然災害がないことを祈るのみである。

さて、今月のテーマは梅雨とは直接関係がない。昨年の読売書法展に西川寧先生ご門下の牛窪梧十先生は「六月雪 悲盦 青闇 墨勁く」と善かれ、青山杉雨先生ご門下の角元正燦先生は「承け継がれる六月雪」と奇しくも同じ六月雪を題材にされた調和体作品を発表された。それを読売新聞「書 2017」で編集委員菅原教夫先生が中国から日本への、そしてその門下への意義ある伝承、縁(えにし)として取り上げておられた。その記事を取っておいたのだが、最近はトンと整理が悪く見当たらない。もし、的外れの理解になっていればお許し願いたい。ご存じの方も多いと思うが書に携わる者としてロマンのある話であり、改めてご紹介したい。

六月雪(ロクガツセツ、ハクチョウゲ)はアカネ科の常緑小低木、園芸植物、1センチほどの白い五弁の花を春から秋に咲かせる、とある。
六月雪にまつわるストーリーは概略以下の通りである。河井茎廬(明治~戦前を代表する篆刻家)が明治の後年、中国杭州西湖畔の趙家(趙之謙)の墓域に生い茂っていたこの木を持ち帰り、東京九段の自邸に植え、愛玩した。茎廬の弟子で趙之謙に私淑していた西川寧は株分けを請い、目里お自邸に植えた。茎廬は昭和20年3月の空襲でその膨大な収集品とともに亡くなり、自宅も焼失したため、六月雪は西川邸にのみ残ったというのである。
先述の牛窪先生の作品の、「悲盦」は趙之謙、「青闇」は西川寧である。六月雪はそのストーリーとともに西川先生ご門下、また、西川先生から青山先生そしてご門下、また河井茎廬から西川先生以外への株分けルートもあったようである。趙之謙、茎廬という篆刻家筋のルートでも株分けの伝播がなされていたようである。

実は、小坂先生にも六月雪の作品がある。昭和53年77歳の喜寿記念個展の「六月雪拜序」である。序文で茎廬から西川への経緯を述べ、さらに西川先生に株分けを請い、今や小坂邸で日を楽しませてくれているというのである。序に続けて自作詩一首が添えられている。かつて、徳島文学書道館での小坂奇石展の記念講演で書道文化研究家の西嶋慎一先生はこの六月雪の作品を題材に西川、小坂の交流について話された。昭和46年に発行された『書道講座 第三巻 草書 –臨書手本(孫過庭 書譜)–』(二玄社)でも、書譜といえば松井如流先生であるべきところを小坂先生を指名されたのは、西川先生の英断であったこと、院賞への出馬を促されたのも西川先生であったことなども話された。

最後に、小坂先生の六月雪の詩を記しておこう。

閑庭六月興堪耽。錯見白花飛雪酣。縦使雖無人賞美。吟懐獨趁趙悲盦。
(閑庭 六月 興 耽るに堪えたり。あやまって見る 白花 飛雪の酣なるかと。たとえ 人の賞美する無しと雖も 吟懐 独りおう 趙悲盦。)
(六月(陰暦)の庭はこの花があるので楽しい。白花の咲くさまは雪が飛んでいるようだ。たとえ人がこの花を誉めなくても、自分は趙之謙に想いを馳せている。)

ちなみに、残念ながら、小坂邸の六月雪は今は枯れてしまったとのことである。

 
   

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