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とりとめのないこと

「田邊古邨全集—全八巻」の推薦文を頼まれた。数人のうちの一人らしい。個展が終って一息ついているころだったが、頭の中が空っぽで、ちょうどそのころ発症した帯状疱疹もチクチクしはじめていた。

体調不良を理由に五月初めまでの予定、稽古、佐賀高校昭和二十九年卒業の二九会最後の集まり、作品研究会、などすべてをやめて途中の月例審査日だけには出た。あれはだいたい座っているだけで事足りる。添削が少々溜っている。「書統」用半切手本一点。そこへ「大渓洗耳遺作展」の作品集が届いた。これも見に行こうとしていたがやめた口である。前回の遺作展とは違った作品ばかりで彼の多作ぶりを改めて知らされる。しかし前回展で印象に残ったもう一度見たいと思う生涯の傑作は二度目なので遠慮したようだ。

そんな折四月二十二日に送った前出の推薦文を見た芸術新聞社の井口さんから電話があり、田邊先生(当時の主任教授)からお祝いの文をいただかれたのですね。その原文を見たいなあ—。実物は見当たりませんが「書源」には出しましたので文章はすぐ出ますよ。
ということで探したら第一巻の十二号にあった。久しぶりに読み返してみる。約五十年ぶり。このところ暇を持て余し気味なのがよかったか。この文は全集には載らないと思う上に五十年も昔の私への激励のことばだと思うので、当然読んでいない人も大勢いることだろうと思い、再録することにした。次ページをご覧いただきたい。

何もしないのは却って疲れるので7号用の解説をゆっくり一日かけて。翌日は名簿の校正とあらたまの発送の終わるのを待って兵庫県八鹿町へ温泉(風呂嫌いなので帯状疱疹を理由に入らなかった)旅行。ずっと以前に決めていたことなのでこれも休養、変更することでもないか、と思ってのこと。いや本来の目的は守本寒哉氏率いる「楽しい書展」を見ることだったので、変更のしようもない。今回は調和体ばかりの本当に楽しい気楽な展覧会であった。
第九回個展でやめるというと、書道界から引退するように聞こえる人が数人いて、その都度「とんでもない。以後はより一層書きまくりますよ」といっている。今後どんな方向に行くのかは本人さえもわからぬ。でも好きなように「いい作品」と思われるものを書きたいと思っている。
神社仏閣への寄贈は希望があれば今まで通り書かせていただきたい。ただし表具料送料は先方持ちということで—。

ここまで先月号の続編のようなそうでもないような文を書いてきたが、何より一番に感謝すべきは山本大悦夫妻であろう。彼の方はこの二、三カ月はど昼夜の別なく仕事をし続けてきたのだろうと思う。その間ずっと咳の止まらない喘息が出ていた。展覧会が終わったとたん嘘みたいに治ったとも聞く。よはど気に病んでいたのだろう。
次に、事務所の四人、文章をたくさん書いてくれた佐藤芳越、以下名前だけ書いておこう。川崎大開、浅田大遠、福山大轟、福井青藍、赤居杉月、この辺でよそう。張り切って手伝ってくれた人を書きはじめたら数十人になる。

この三、四日は暇である。そんな折郷里佐賀の酒造メーカーから(家内の友人)「うちのラベルを書いて下さい。うちの二つの名称以外にも何か適当に—」と。暇だと頭が廻らんらしい。

江口大象(書源2015年7月号より)

 
   

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