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モンゴルのこと

 「繰り返される弾圧の歴史」と題して、今年の6月7日産経新聞の夕刊に、中国内モンゴル自治区抗議デモのことが詳しく載っていた。モンゴルに行こうと計画していたのに新型インフルエンザのため突然中止にしたのが1昨年のことだったので、モンゴルには多少とも興味があった。興味といっても私のは薄っペらなもので、ただ「何もない大草原を見たい」だけのこと。子供のころ天津で見た空一面の星、それに地平線からの日の出入り、丁度その時期に当たった中秋の名月などなどを内モンゴルで見られたらいうことなし、程度のものである。
 ちょっと長くなるが転載させていただく。

 中国は今、国をあげて西部大開発を進めている。内モンゴル自治区と新産ウイグル自治区など、歴史的にずっと遊牧民たちが住んできた地域を経済的に発展させようという国家プロジェクトである。
 漢民族は、遊牧を立ち遅れた生業(なりわい)とみなし、中華と異質な文化を持つ遊牧民を野蛮人だと見ている。したがって西部大開発は「文明的な漢民族」が大量に移住して、「野蛮人」を文明社会へと「助ける行為」だと宣伝している。西部大開発の過程で遊牧民は定住を余儀なくされ、都市・農耕生活に入っていかざるを得なくなる。伝統的な文化と母語は失われ、漢民族に同化され、そして吸収されていっている。モンゴル人などの少数民族側は危機的な状況に置かれているが、漢民族は西部大開発によって、経済的な格差が解消され、民族間題も解決できる、と確信している。
 こうした背景の下、5月11日に、1人のモンゴル人遊牧民が内モンゴル自治区中央部のシリーンゴル草原で殺害された。
 天幕の近くで石炭の露天鉱が発見され、連日昼夜にわたって数百台のトラックが殺到していた。圧倒的な力を誇る漢民族のトラック隊は草原を無秩序に走り、脆弱な植皮を壊して沙漠に変え、家畜をひき殺しても弁償しようとしなかった。

 私が行ったのはゲゲンダラ草原だったので、その事件があったところとは違うが、フフホトから銀川まで約600キロをバスで移動中にある町で延々と続く大工業地帯を見た。多分石炭を採掘し、精製する工場まであるのだろうと思う。空気は汚れ、道は真っ黒であった。
 パスの中にはスルーガイドの羅小剣さんと、現地ガイドのホス(正しくは呼斯巴雅尓[ホース・バイラ])さんが前の座席に並んで座っていたが、2人の間には明らかに漢民族対異民族という雰囲気があった。ホスさんは成吉思汗(チンギスハン)の35代目の末裔であり、観光ガイドの傍らチンギスハン陵を守る仕事をしている。途中、オトグというホスさんの出生地附近を通ったが、約140万平方キロの土地があり、親族が住んでいるという。子供が学校を卒業したらここへ戻って農業と放牧業をします、といっていた。

 内モンゴルから帰国した翌々日から「成吉思汗(チンギスハン)」というDVDを見ている。後々全大草原を制圧して「元」時代を作る英雄の物語であるが、いくつあるかわからぬほどの内部異民族を纏め上げてゆく過程には、大変な包容力と策略家であること、瞬時の判断力、そして勇猛なる戦い。このDVDの欠陥は役者の早口に合わせて目まぐるしく消えてゆく字幕にあるが(歳のせいか)、まあとりあえず面白く見ている。が、これはモンゴルの中での権力争いで、今回の中国対大モンゴルの戦いとは規模が違う。

 帰ってこの切り抜き記事をもう1度読んでみた。楊海英氏の文で、内モンゴルのオルドス生まれ、現在静岡大学の教授。全文紹介できないのが残念だが、しかしこれは中国側からすれば死刑ものではないかとさえ思われる。
 最後のところをもう少し。

 暴力にさえ訴えれば、少数派のモンゴル人は簡単に屈服し、あらゆる利益を手に入れることができる、という共通認識が漢民族側にすっかり定着した。内モンゴルはモンゴル人の自治区だとはいえ、漢民族はモンゴル人の8倍にも達し、軍と政府などすべての権力を掌握している。「遅れた遊牧」を「先進的な農耕」に改造し、遊牧民を漢民族に同化させるのも正義だと定義されている。
 しかしモンゴル人側はこれを「文化的ジェノサイド」だと見て抵抗を始めている。西部大開発が民族間題を逆に激化させていると指摘しておかなければならない。

 と結ばれている。中国はこれを世界へ向けてしようとしているのかもしれない。
 人間同士の戦い、国家間の戦いは、誰がどこでどれだけ祈ろうが永久になくならないということか。

江口大象(書源2011年12月号より)

 
   

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