文字サイズ

今井凌雪先生の思い出

 璞社の第3回展は心斎橋のそごうの2階ギャラリーで開かれた。昭和39年3月のことで、フラリと来られた今井先生が、いきなり私の作品の前で立止まられたので、問われもせぬのに制作時の苦心談のようなことを懸命に申し上げた。字のゆがみや行間のとり方、その他いろいろ。先生はニコニコしながら私にしゃべるだけしゃべらせたあと、「江口さんそんなに理屈を—-書は理屈で書くもんじゃありません」と。
 当時の私はまだ学生気分の抜けきらない29歳。先生はたしか40歳を少し出たころではなかったか。しかしすでに日展審査員もされ、日本書芸院では若手のホープとして大活躍中の先生だったので、私もつい若気の至りというか、言わずもがなの自作の説明に及んでしまったと思っている。

 しかしこのひと言「君は理屈で書いているのか、書はそんな軽いものじゃない」 と言われたのは正直こたえた。師風から少し脱して、さあ今からひと理屈つけなくてはと思っていた矢先だったので余計骨身にこたえた。これで眼の前が明かるくなったといったら生意気だろうか。それ以後努めて「理屈」は言わぬよう、作品は「作らぬ」よう肝に銘じたのは事実である。
 それから何年後だったろう、松坂屋で書芸院展が開かれているころ、何の話だったか、さらりと 「書家なんて自分でうまいと思っていなくちゃできませんよ」といっていたずらっぼく笑われた。隠そうにも隠せない、心の中まで見透かされるような芸術に携わるには、それなりの覚悟がいるんだよ—- と私は受取った。
 先生は若くして20人展のメンバーに選ばれたが、わずか2年出品のあと10年近くのブランクがあり、その後復帰されて20数年続けて出品されている。その間の事情は知る由もないが「江口さん、人間は蟻みたいなものですよ」はいつ聞いたのだろう。これも松坂屋であった。

 今井先生が亡くなられてすでに3ヵ月が過ぎた。第3回の璞社展に来られたのは「フラリと」ではなく、当時の璞社の重鎮中野南風さんから璞社展の評を—-と頼まれたからだとわかった。その評は「書源」創刊以前で、「書道」の39年度の号に出ている。さすがに今井先生らしく全体の約8割を割いてご自身の主張を述べておられる。<批評について>では「一般的に言って、書の展覧会は、浅い理念に基いた自分らだけに通用する技巧本意のものが多いので、批評の余地がみつからぬことになってしまう。璞社展でもやはりこの様に思った。」<展覧会の開催について・書作の態度について>では「公募展の延長的性格、つまり自己の書芸術の確立より、競争のために尖鋭化した技巧を闘わすことに浮身をやつす傾向」とバッサリ。次の<師風について>では「或る時期は師風に徹底するのも良いし、また機が熟せば独自の境地を開くのもよい。従ってここでは師風に似ているいないは大した問題ではない……根本的な態度について一考…」と手厳しい。

 最後の2割に個人評がある。私へのことばのみを記しておく。
 「このことば〝冬の寒さに耐えるといった語句〟にふさわしく、腹にこたえるものがにじんでいる線と形が出来ぬものか。腕にまかせたところが目に入る。」
 常に「書の本質」と向き合い「書とは?」を考え続けておられた先生であったと思う。

江口大象(書源2011年11月号より)

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です