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目指すべき方向

 第62回璞社書展は年始早々、無事に終えることが出来た。企画運営をしてくれた係の人はもちろん会員の皆に感謝したい。また会場にお越し下さった皆さんには心からお礼申し上げます。璞社書展のみならず年末から年始にかけては各社中の書道展が多く開催されていた。漢字系、かな系に関わらず社中の書風を全面的に打ち出し表現された作品を鑑賞させていただき、私自身も大いに勉強させていただいた。若い頃は自分のしていることの全てが一番正しいと信じていて、他社中の書風は受け入れることができず、ダメ出しばかりしていたように思うが、今は素直に冷静に鑑賞させていただいている。

 さて、ある社中展を見せていただいた時のことである。ある先生から「君の作品は江口先生とそっくりに書いている。随分、勉強したんだね」と言われた。誉め言葉かどうか、その真意は量り知れないが、複雑な気持ちになった。それは江口先生が二十歳代に小坂先生の書風「奇石流」から離れ、江口先生独自の書風を確立されたからである。「大象流」の書風を確固たるものにした後に、書道界に認知されたわけである。私は未だに「大象流」から抜け出せずにいる。師の書風からどう離れるか。たとえ離れたとしても書道界から認められなければ無意味である。まさに「守破離」の世界をどう実践していくかということであり、悩ましいところである。

 書を学ぶ者は誰しも「線質の強さを表現せよ!古典をベースにせよ!」と言いながらも社中によって書風が違う。同じ古典を学んでも表現方法が違ってくるのは不思議ではない。そうして書風が生まれてくる。指導者の好みが弟子に伝わり、社中の書風が形成される。だが社中の書風は不変ではない。指導者の好みが変われば書風が変わり、それに伴い社中のそれも変わってくるのは至極当然なことである。

 璞社はどうであろうか。現在は小坂先生の書風「奇石流」は誰も書いていない。厳密には書けないといった方が正しいのかも知れない。江口先生は「奇石流」から若くして離れたが、小坂先生の提唱された筆法や品位というものを常に意識されていたように思う。撥鐙法による直筆蔵鋒といった技法に加え、品格や気韻生動という崇高で内面的な精神論に関わる書作の態度こそが璞社の理念であり、目指すべき方向であろう。璞社の歩むべき方向は単なる外形の模倣ではなく、「奇石流」「大象流」の内在する精神性こそ継承すべきことだと思っている。璞社の歩むべき道を踏み外さないためにも、今一度「自身の方向性」を見つめなおし、璞社の一員としての誇りと自覚をもって取り組みたいと思う。

山本大悦(書源2023年4号より)

 
   

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