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余白について

昨年の11号に『心の遊び場』と題した駄文を掲載していただいた。「部屋の中の広い空間。この何もないスペース、空間が家族にゆとりや温か味を感じさせる”心の遊び場″になっている」との家主の言葉を紹介した。書で「何もないスペース、空間」は『余白』に当たると言えよう。しかし、それだけとも言いきれない、というのが今回のお話。

書は白と黒の芸術である。書かれた黒(点画)と、それによって作り出された自(余白)。つまり、書かれていない部分が「余白」となる。多くの先人たちは、この「黒」と「白」は書の美を作り上げる要素として同等である、と述べている。余白の重要性、難関さを吐露しているのである。

「余白」を別の見方をすれば、演劇や演芸の「間」に相当するものと言えよう。この「間」は作品に奥行を与え、余韻、余情など様々な情緒を醸し出す原動力となる。会話の場合では無言の「間」と言える。語と語に挟まれた無言の空間には、意味と感情が充実している。つまり、この無言の「間」も会話の一種、いやそれ以上のものということになる。こう考えていくと「間」はそれぞれの死活を決する重大な要件であるといわねばならない。書もしかり、である。

書でいう黒、つまり書かれた点画と白の余白は、それぞれが個別に存在するものではなく、互いに生かし合っているのである。

我々は書作に当たって、この余白、間を大切に考えなければならない。紙面の構成に、文字の大小、潤滑・太細などを含めた線質にと苦慮しながら書き進めるだけでなく、作品全体に響き合う余白の美、間にも心を配って書作しなければならない。考えすぎると俗書を生む可能性が高くなる。計算しつくした書作を心掛けるのが常であろうが、自らが純粋な感動を原点としない限り、充実した余白美は生まれないのではないだろうか。

川﨑大開(書源2022年5号より)

 
   

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