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風雅の交

今年も、梅の季節がやってきた。

不見村童子 前山展墨梅 結跏溪上石 麟鳳化雲来
-見ず 村童子 前山 墨梅展ず 結跏 渓上の石 麟風 雲と 化し来たる-
今日は村の童子たちの姿も見えず、前の山には墨絵のように梅の花が咲いている。ひとり溪上の石に足を組んで座っていると、麟や鳳が雲になってやってくる。

これはかつて、書源誌の「漢詩の味」を担当されていた進藤虚籟先生の若かりし頃のお作で、自ら編まれた漢詩集「刀圭余韻」にも収録されている。若者らしい気負いも多少感じられ、また絵画的雰囲気もある明快端的な詩だ。
実は、この詩を小坂奇石先生が書かれた色紙を昨秋入手した。しかも揮毫の経緯を書かれた進藤先生直筆のペン字のメモ付き(カルテの裏に書かれたもの)である。進藤先生は眼科の開業医で、漢詩においては進藤虚籟として、短歌においては由比晋のペンネームで活躍された当代第一級の文学者であった。先述の刀圭は医者のことである。
進藤先生のメモの内容は、この色紙は、小坂先生が、進藤邸に遊びに来られた時に、書かれたもので、三枚揮毫され、唯一押印された一枚とのことである。進藤先生は書家ではないが、漢詩の揮毫、指導に普段に筆を執られた為、殊に毛筆細字、ペン字は実に味があり素晴らしい。このメモも同様である。

小坂先生は漢詩、漢文の勉強の為に七人の先生に順次師事され、最後の師が土屋竹雨先生であった。その土屋竹雨先生の高弟が笠井南邨先生と進藤虚籟先生であった。いわば、三人の先生は漢詩では竹雨門の兄弟弟子である。書源誌の「漢詩の味」は創刊号から笠井南邨先生が執筆され、南都先生が養痾になられてからは、進藤先生が引き継がれた(平成18年 第40巻4号まで)。そこには、書は漢詩文を題材とする以上、日頃から漢詩文に親しまねばならないというきりん小坂先生の理念があったのである。
進藤先生は東京にお住まいであったので、小坂先生や江口先生が上京される折には、お目にかかられたようである。後年、小坂先生も進藤先生に漢詩の指導を仰いでおられるので、進藤先生との交流は当然だが、江口先生や当時の璞社副会長の中野南風先生が読売書法展の審査等で上京された折りには、進藤先生、村上孤舟先生(松本芳翠門で漢詩は進藤先生に師事)江口先生、中野先生で、食事をしながら、持込みの筆墨で色紙の揮毫や寄せ書きを楽しまれたようである。

昭和63年 書源第22巻9号の江口先生の「南田居漫筆」に
「7・29 帰阪。進藤先生よりハガキ。詩あり。南風大象与孤舟 虚籟相逢中野楼 梅雨也宜浅宵酒 論書魏漢二千秋」とある。
南風、大象、孤舟と虚籟が中野の店で逢った。宵の酒を酌み交わすのに梅雨の季節も良いものだ。漢魏の二千年の書を大いに論じあった。
談論風発の情景が日に浮かぶようだ。
今日では、このような風雅な交流はなかなか難しいが、書や漢詩の世界にはこういう楽しみ方もあるのである。

佐藤芳越(書源2022年2号より)

 
   

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