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書源650号

本号で書源は通巻650号を迎えた。発刊55年目の快挙である。書道界には書海社の「書海」誌(創刊 松本芳翠)や書壇院の「書壇」誌(創刊 吉田苞竹)のように千号を優に超える競書雑誌があるので、比すべくもないが、とにかく、毎月休まずに発行してきた積み重ねの事実は尋常なことではない。本来なら、創刊時から編集長だった江口先生のもと莞爾として来る700号に向けて通過して行く筈であった。しかるに昨年9月に江口先生が急逝された。返す返すも残念至極で、その空虚、虚脱感は未だに尾を引いている。璞社、書源会員の皆様も同じであろうと思う。

ご存じのとおり、書源は璞社創設者、初代会長の小坂奇石先生の書に対する理想を具現化すべく、それまでにあった書典誌から、昭和42年に大人の部を移行する形でスタートをした。小坂先生66歳、編集長は32歳と若き江口先生であった。書源の発刊は小坂先生のみでは出来ず、江口先生という超有能な人材を得たからであった。書源発刊以降、江口先生は書源編集長、教師、書家という三足の草鞋を履きこなす生活に入るのである。高校時代に江口先生が小坂先生に入門する決意を固めた経緯については、すでに何度も書いたので、ここでは割愛するが、啐啄同時というのはまさにこの師弟の奇縁をいうのであろう。

書源発刊に伴う懸念事項であった資金面の問題も昭和46年の発刊五十号の頃には一応のメドがつき、以降五十号毎に誌上展等の企画を実施した。現在の璞社役員の大方の人はその登竜門をくぐって来た人である。

創刊から第二十三巻十二号(平成元年)まで小坂先生が手本を善かれ、翌第二十四巻一号(平成2年)から江口先生を中心とした手本となる。最近は江口先生と山本大悦新会長も手本を担当されてきたが、江口先生のご逝去により、今後は山本新会長の手本が中心になって行くこととなる。小坂先生は常々、手本は作品と違うと言われていた。山本新会長も手本には細心の注意を払っておられるとのことである。競書に応募する皆さんも手本を参考に自己の創意工夫も織り込んだ作品を引続き応募いただきたいと思う。競書についての是非はあると思うが、その成績で一喜一憂し、また努力工夫する、書友、良きライバルと競うのも競書の醍醐味である。

外部の先生方からも書源は読み物が多く楽しいとの声をいただくことがある。川村、淺田、山本康、北條、阪野各氏の定番記事や解説は連載であり、それぞれ労作である。中でも江口先生の「マンピツ」はとりわけファンが多かったのでないだろうか。ご逝去により、「マンピツ」が無くなるのは、寂しいが、その空白を埋める気鋭の若手の登場も期待したい。

書源は江口編集長の下、歴代の編集事務局スタッフの方々の尽力と多くの読者の支持があって今日まで継続発行されてきた。今後は山本大悦新会長を中心に継続されて行くことになる。少子高齢化や最近の種々の環境変化で取り巻く状況は厳しい。会員の確保、増加がその大前提である。書源のさらなる継続、発展の為に、皆さんのさらなる協力をお願いしたい。-650号を通過点として-。

佐藤芳越(書源2021年2月号より)

 
   

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