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痩せた腕

私の二の腕は細い。近所の掛かり付けの医者も何かの予防注射の際に差し出した腕を見て思わず「痩せてるねぇ」と大声を出した。しかし細いのは腕だけで、中学でちょっとの間でも陸上をやっていたせいか脚だけは太かった。当時は競輪選手にでもなるような勢いで貫通道路(佐賀市内に一本しかない直線道路)を自転車で行ったり来たりして脚を鍛えていた。やり出したら止まらない。書道、八百屋、自転車。半年もせぬうちに疲れがたまって家に帰るなりゴロリ。
級友の広瀬君の父親の病院に行かせられ、いきなり入院。診断は肺浸潤。気胸療法、血沈が下がるまでは入院です、小さい字は見てはいけません、などといわれ、そこで見たのは大量の書道の印刷折手本。半年も居なかったと思う。血沈が下がらぬまま運動をしない条件で退院。ここで惚れたのが黒木拝石の右払い—。まあこのころのことは後日書く機会もあるでしょうからこの辺で—。

昭和五十年ごろの冬、十数人で琵琶湖西側の山ヘスキーに行ったとき、売店で買ったパンツがパリッと音を立てて裂けた。ともかく足が太過ぎて黒いナイロンのパンツがひどいことになったのである。
その脚も今は見る影もなく、毎月厄介になっている整体師からはお尻の肉がなくなりましたねえ、背中も丸くなって—。あちこち老化宣言である。先の医師から腕が細いですねといわれた時は「筆を持つだけですからね」と返したら、含み笑いでごまかされた。その細い腕に持った筆には墨をたっぷり含ませるのが私の好みで、憧れは王鐸のタラタラ流れた線條が何本かある長條幅作品。宮中の侍女が毎日の仕事に飽きていたとしても「あら流れてるわ」などといって墨を元へ戻す仕草はしていない。流れたままで気にもしていない。王鐸も胱本(ぬめ)を持った彼女達もである。
王鐸はゆっくり太く、やや遅い目に書いたようだ。しかし清朝に下ってからの作品は書のみに生き甲斐を感じ、ホロ酔い気分だったか、半ばヤケクソで「オレの一生はいい書作品を残すことだけだ」などといっている。私から見ればいいことばである。

さて腕の話。二年ほど前の週刊文春「新・家の履歴書」に逸ノ城が出ていて「相撲界にモンゴル人がたくさん居ても正真正銘の遊牧民は私だけとか、僕の仕事は薪を運んだり動物たちの糞を集めたり。皆燃料です」。
彼の手足は太い。何にしろ百九十二センチ二百キロ超の体躯。あんな太い手足はいらぬが、少々私に分けてほしい。
何を書いているんでしょう。何とかオチもついて巻頭言らしくなる、と思って書き出したのはいいがこれではサッパリですな。
次は何にしましょう。月刊誌でも苦労しているのに新聞は毎日ですからね。

江口大象(書源2017年11月号より)

 
   

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