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恩師の小学時代

田邉古邨全集(全八巻)は十人程の人に薦めて買ってもらった。ところが私自身がまだ極、一部しか読んでいない。それを過日研洋堂さんが第六巻の「童書について」は是非読んで下さい—と。彼はもう全巻を読破したらしく、私より若いとはいえすごい学習意欲である。
薦めた私が逆に薦められて—。すぐ読んだ。子供の書作品にあらわれる無限の感性について、切々と探い滋味溢れる文章で綴られていて、こんな話は授業中には聞かなかったな、などと思いながら、先生のあの朴訥な顔を思い浮かべながら読ませてもらった。

「童書」だけに九回も熱を込めて書いておられる。機関誌「同文会報」掲載。この文を善かれたのは私の卒業後のことで、明治三十六年から昭和五十五年までの七十七年間の生涯を、卒業生(といっても私より先輩)の数人で先生への愛を込めて苦労の末に編集した全集で「童書」もその中の一つ。恥ずかしながら私に対する一文も第八巻にはいっている。先生が久我山から奥多摩の桜ケ丘にやっと家を新築されたとき(昭和四十二年)と書源を発刊しましたので是非一文を下さい、と手紙したときとが偶然一緒になってしまって、多忙の中の寸暇を惜しんでその原稿は届いた。それは早速第一巻の十二号に載せたが、それから五十年ほど経った第四十九巻の七号に再録しているので興味のある人は読んではしい。

他にも童書についての記述は各所にある。学生を相手にしながら子供の書にあらわれる心情を深くまさぐっている。それから敷衍するいろいろの問題、指導者の責任、書家の責任、盗作、用具の手入れ、運筆の正しさ、書は形ではなく心の触れ合いだ、などと書き出したら枚挙にいとまがない。(以上主に六巻)
また八巻には先生の若い頃の思い出話が載っている。赤貧洗うがごとしの少年記で、その中で小二の時の「日本外史」「論語・大学」の素読。金がないから飯のかわりに勉強せよという父親。数年間の授業料の滞納、学校には行けず今でいうバイトと父親との一対一での勉強、もと住んでいた神田のあたりの家の大火。いろいろの無念を込めて「ざま見ろ、うんと燃えろ!」もすごい。
私の貧乏時代とは比べものにならない二十代までの先生の幼年期は、失礼ながら長文にも拘わらず面白く楽しく一気に読ませてもらった。

「童書」について書こうと思って書き出したのに支離滅裂のこの体たらく。童書は来月にします。

江口大象(書源2017年8月号より)

 
   

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