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あれから五十年

発刊五十年目はわれながら重いと思う。小坂先生から二度三度請われて昭和四十二年に創刊したのであるが、今考えるとよくまあ無茶な決断をしたものだと思う。当然準備に一年はかかった。

その当時、私は結婚したて、子供出来たて。わが家では狭いので銀行の会議室を借り、数え切れぬくらいの話し合いをした。個人的に先生のお宅へも十数回。何から何まで初めてのこと。編集などは私自身嫌いなことではないので睡眠時間を削って熱中したが、ズブの素人である。平日は府立高校に勤務しているうえに、当時校長対左派教員(職員のほとんど)という図式で会議は数時間に及ぶことが多く、夜食のうどんが出ると今日も十時を過ぎるか—という時代。寝る間を惜しんで何とか発刊にこぎつけたものの、本の編集はもちろんのこと、印刷所との折衝、雑誌代やその他の入金事務や催促。現在は研洋堂にやってもらっている競書の分類や発送。当時は「みなもと」はまだ発刊しておらず「書源」のみだったが、それを家内と二人で殆どやってきた。特に帳簿などの経理は家内に任せっきり。それを見かねて手伝いに来てくれた五、六人は数カ月後だったか—当時住んでいたのは文化住宅で、六畳と四畳半の今で言う”2K”と狭かった。一年もしないうちに毎月の残本が通路とも言えない一メートル程の玄関口一杯になり、人一人がやっと通れるくらいまで溢れた。

そんな時代を考えると今まで何人の人が「書源」「みなもと」に関ってきてくれたことか—ともかく感謝の一語である。
何はともあれ五十年経った今、小坂先生が創刊号の巻頭言で高らかに謳っておられる璞社の根本精神を末長く引き継いでゆくことを誓っておきたい(十二号「書源発刊の奇縁」参照)。

江口大象(書源2016年1月号より)

 
   

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