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標準草書

  「開運!何でも鑑定団」はよく見ている。玩具や道具類、スポーツ選手のサイン入り何とかや靴など興味のないものはすぐパスする。家内が録画したものを見ているので簡単である。日を皿のようにして見るのは書画と焼物。不満は署名の部分をチラリとしか見せないこと。あれが大事なのに制作者は全体像を見せて鑑定を依頼する。

 前もって相当な選別会があり、鑑定者は下調べをする充分な時間もあるのだろう。でなければいくら専門家とはいえ、いきなり見せられて「これは江戸時代の何代目の晩年期の作品に間違いありません」とか「これは二セモノです。しかし丁寧な作ですので大事にして下さい」などテレビの前でいえるわけがない。
 韓国でも同じような番組があるらしく、そこではニセモノと鑑定された瞬間、ハンマーで潰す、と聞いて驚いたことがある。本物と信じて持って来た砕けた粉末の上に顔を伏せて号泣しているオジサンの姿が目に浮ぶ。

 たまに出てくる書道作品のこと。「これは徳川○○の作品に間違いありませんから百万円です」とかいっている。間違いなかろうが下手まる出しのものである場合が多い。そんなことにおかまいなしに(歴史的に価値があるので)何百万とかいっている。そして読みにくい古文書の文を読んでいる。立派だとは思うが、書の巧拙についてはひと言もない。

 この前、4月23日東京西池袋の東京芸術劇場で「干右任回顧展」があって、台湾淡江大学教授の張柄煌氏による「干右任の人と書」と題する基調講演を聞いた。約1時間の話の後、杭迫柏樹氏と私を入れて鼎談「干右任の書について」。
 冒頭の挨拶の際、なぜここに私が選ばれたのかわからないといったところ帰りのエレベーターの中で、主催者の萱原氏から○○さんを予定していたのですが、突然ダメになり江口さんならということです、と聞かされた。疑問解消である。

 で初めに戻ると、張柄煌氏が張り切って多少時間が延びたので幸いにも?二人の持ち時間が減った。そこで張氏がいいたかったのは、すべてにおいて潔癖症であった、書は芸術である以前に人間の表出である人物、詩の内容とともに書作品だ。という部分。確かに干右任は政治家としても教育者としても筋の通った、これ以上ない立派な人生を送ったと思う。そして中国本土の簡体字に対して「標準草書」運動を立ち上げて現在も活動中とのこと。あれはすごく評価されるべき仕事だったと思うが、あの運動が、今台湾でどれだけの広がりを見せているのか。干右任を英雄に仕立てているのか、われわれでも読めそうにない草書が散見される。干さんは歴史上誰の書を第一とされていたのでしょうか、又正しく教えられる先生が充分いるのかなど簡単な質問をしてみたのだが明確な答えはなかった。政治的英雄の字は、技術云々の前に人間性、歴史性らしい。

 私は萱原氏から終わりごろに「まとめて下さい」とマイクを向けられたがまとめるどころかいらぬことを云ってしまった。「彼の字は烏賊のようにプヨプヨでしょう。でも骨がないのではなくて芯にはしっかりした太い骨があるのです」と。杭迫氏は当然もっといい例を出しておられた。
 何でも鑑定団さま、毛沢東の作品は今いくらぐらいでしょう。振り返って安倍総理の字は—-。先月の「マンピツ」と合わせて—-。

江口大象 (書源2014年8月号より)

 
   

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