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自然と対峙するか

 5月21日自宅での稽古を終わって夕食。今日は疲れているだろうし、時間も遅いからといって寝室にはいったのが9時過ぎ。横になるだけでこんなに早く寝られる筈がない。
 何となく「報道ステーション」を見ていたら「老衰末期の高齢者に延命治療は必要か…?〝平穏死″という選択」というのをやっていた。見終わって2紙の夕刊に目をやると、読売の3面同じような内容の記事が載っていた。「臨終のマナー・安らかに満足して逝く」筆者は「がまんしなくていい」を刊行した元病院長の鎌田實さん。現場でやってきたであろう人工呼吸器や胃ろうは私にはいらんと子ども達に伝えた、と書いてある。

 東洋人のものの考え方の根本は、自然ととともに生きる、ということであった。何の理屈もない。自然に平伏して自然の力は大きいなあ-でずっと済ませてきた。多分中国も同じで暑いときは暑いなあ、寒いときは寒いなあで過ごしてきたと思う。自然の猛威の前に、人間はただ為すがままにされてきた。
 それが急に自然を人間の意のままにできないものか。社会の仕組みも人間を中心に全てを—と考えはじめたのが、約200年前に起きたあの産業革命であったような気がしている。日本もその荒波(恩恵)を戦後に激しく受けて、夏は涼しく冬は暖かくしましょう。移動は迅速に、用件は電話で即刻。近くは降雨の調節、台風の進路変更、地震の予防(予知ではない)などの研究もされているやに—。
 その一つに医療の進歩がある。進歩し過ぎて意識不明のまま四半世紀もという例もあるだろう。平均寿命ばかりが延びて、4人にひとりが後期高齢者になる日も近い。

 今日はこんなことを書く予定ではなかった。ちょっと話題を変えよう。
 この間、どこの新聞だったか、3・11大地震後に日本に帰化したドナルド・キーンさんが、対談の中で、あらゆるものは移り変わる。それを一種の美学とするのは日本だけです。今あるものをすべて守る、捨てる、諦める。古いものと新しいもの、はかなさと永遠。矛盾するものを全部抱えるから日本文化は豊かになりました。といっていた。第2次大戦末期、詩人の高見順さんは上野駅で静かに順番を待つ人々を見て、こんな日本人と一緒に生きたいと思ったと日記に書いたが、私も大震災以来同じ気持ちだ、ともいっている。
 コンピューター「京」の100倍もの計算機ができると、いよいよ人類は自然を手中に収めることができるのですかね。真っ向から自然と対峙してつかみかからんばかりですなあ。

6月5日読売夕刊、高齢者「延命より苦痛緩和」

—終末期医療の意識調査—の記事

江口 大象 (書源2013年8月号より)

 
   

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