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曖昧 不均衡

 先月、普通の字を普通に書いて奥深い書の根源に導くのが書家のつとめではないか、書人のつとめではないのかなどと偉そうなことを書いたのであるが、今回はそんなことを何も感じない現代の書をやらない人のことについて。特に若者、中でも小中学生について。

 毎月いただいている月刊書道誌「書粋」を独りでやっておられる藤岡志龍さんから、昨年7月のこと、雑誌の中に小さな紙片で次の一文がはいっていた。「最近驚いているのは書き文字として美しいものと、活字風に書いたものを見せると、活字風に書いた方を選ぶ子供が増えていることです。しかも書き文字風に書いたものがよいといっても言うことをききません」
 いつだったか忘れてしまったが、一度だけ中国旅行を一緒にさせていただいたことがある。それ以来会っていないがなかなかの好青年であった。

 明代の董其昌は「画禅室随筆」の中でひとつの東洋文化の根本に触れて、「等間を忌む」といっている。西欧を旅して、あの左右対稱の建築、庭の設計は何だろうと思った。当然西欧ではあれを美しいもの、と思っているのだろう。そんな感覚を精神の根っこに持っている人たちが、日本庭園を見て、「ああ美しい!」などといっている。
 私は根本的には東洋の文化は欧米に理解されないのではないかと思っている。危惧しているのではない。本質的に合い入れない人種、文化なのではないかと思っている。どこだったかヨーロッパで書会を開いたことがある。ひとしきり書いたあとの質問も、ただ白と黒との対比のことだけだった。無理もない。漢字やかなを知らない人たちなのだから一。

 ここまでぐたぐた書いてきて、今東洋の、特に日本の文化が、根こそぎ欧米化されつつあるのではないかと気付かされるのである。
 アメリカのアーリントン墓地の故人の墓石名はすべて「活字」であった。日本の墓石の文字もそのうちああなるのであろうか。一本の線に秘める味、等間隔でない縦や横の線が醸し出すえもいえぬ東洋の味。
 今の子供が活字の美しさしか認めなくなるのは悲しい。曖昧、不均衡は日本の文化である。

江口大象 (書源2013年3月号より) 

 
   

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