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書塾の先生方よ

 大阪の20人展会場で、たまたま自分の蘭亭集序作品の前に立っていた。そこへ数分前までの私の説明を聞いていたらしい50がらみの男性が近付いてきて「なぜこんな読めないような字を書くんですか。楷書で書けばだれでも読めるのに—」せめて行書ぐらいで—と言いたかったのかもしれないが、私は「活字だったらいいんですか。そんなのが並んでいる展覧会をあなたは見に行きますか」と言ってしまった。男性はもうひとこと言いたそうであったが、ニヤリと笑ってそのまま立ち去った。

 過日の事務日に、子供を教えている書塾の先生から電話があり「中学2年生になっているのに楷書しか書かないという子がいるんです。硬筆ですが—どうしましょう」要は硬筆手本の中に中学生用の楷書の手本を加えてくれないか、もう少し強くいえば、学校で教えない行書など習わすな、だったのかもしれない。
 平成22年の7月、私は成田山全国競書大会の成績優秀者16人を連れて中国北京へ行ってきた。当然北京での正式行事として、日中の子供同志での席書会が組まれている。日本の子供は小学校高学年から行書を書く人がいるし、高校生では短歌を変体がな混じりの堂々たる作品を書いた人も—。しかし中国側は小中高に関係なく全員が楷行草篆隷の各体を見事に書きこなしていた。現代の簡体字ではない、旧字体である。
 日本の16人の中に沖縄の当時小学5年生だった林遼太郎君がいた。彼は何かにつけ群を抜いていた。作品はもちろん(ちゃんと雅印まで)物怖じしない立居振舞には驚くはかなかったことを思い出す。何をするにも自信満々であった。その後林君とは何度か手紙のやりとりもしているが、毛筆でしかも「林」は草書である。

 先日読売書法会の企画委員会で茅原南龍氏に会った際、林君の文字の大人びていることに触れ、どういう教え方をしているんですかと質問した。直接の先生は上原梅花さんらしいが、その上の先生が茅原氏なのである。
 「常に崩し字字典を持ち歩くように言っています」だと。今彼は中1である。私も中2ぐらいから草書で日記をつけようとしたこともあったが、彼は小5でその域を遥かに越えている。
 「彼は将来何になりたいと思っているのですか」といったら茅原氏はためらうことなく「書家です」といった。うれしい答えであったが、私はしっかりした政党の文科大臣かになって、日本文化の高揚に一役買ってはしいと秘かに思っていたのである。

 書塾の先生よ!中学生になったら行書を習わせよう。行書はおもしろいよ、同じ字でも字形も筆順も違うのがあるし、大人になったら行書が生活の字だし、という具合に。
 書塾の先生は、学校で○をもらえる字(みなもと手本は○をもらえる字)以外にいろいろの字を教えよう。臨書もさせたい。崩し方も一般的な異体字も、学校の先生の硬い頭を少し柔らかくすることも。
 半ば無理を承知でいっている。しかし今の教育ほんとにこの進み方でいいのですかね。中2の孫が書き取りの試験でシンニュウの部分、点の次を少しゆるやかに曲げたところ×をもらって帰って来た。点の次はしっかり「る」の頭のように曲げなければならないらしい。

江口大象(書源2012年6月号より)

 
   

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