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醍醐味にひたる

 昨年の11月7日、ロッテが中日を破ってリーグ優勝を果たした。中日絶対有利の中日球場で、延長12回の末8対7で勝った。前日の6日にはもうあと5分で午前零時を迎える時間まで戦って2対2の引き分け。私はテレビで観たものの、球場からの帰宅はどうしたのか心配させるほどの時間である。どちらも面白い内容だったので私もこの2日間は野球漬け。私はロッテを応援していた。理由は簡単でシリーズの成績が3位だったから。セパとも上位3チームの力の差がないときはこんなに面白いものかと思う。

 「スポーツはルールを知らないとさっぱり見る気がしませんねぇ、サッカーなど全く見ません」。
 こんな人が思ったより多い。聞くたびに、読めない書作品はさっばりわからないという意見を連想する。スポーツが嫌いな人ならいざ知らず、スポーツは好きだがまずルールだという。ルールは確かに大切だろうが、まずは格闘技の醍醐味である。何のスポーツでもよい、陸上でも水泳でも、ルールよりファイト。この年になるとあの若者の元気を見ているだけでいくつか若返るように思う。
 どのスポーツにも当てはまるだろうが、ちょっとした仕草や身のこなし、表情などに、日頃の鍛錬の重みを感じてしまう。例えば体操、どれだけの練習をしたらあれほどの技がこなせるのか。例えばマラソン、毎日どれだけ走っているのだろう…。それらを思うだけで私はスポーツの醍醐味にひたれるのである。

 作品の前に立ち、「まず読みましょう」はないだろうと思う。まず雰囲気、格調、線、正しさ、気迫、遊び心と続く。総じて「ゆとり」を読み取ればよい。堂々、どっしり、悠然も読み取ろう。その上でちょっとした筆遣いのあや、そこにも深く長い鍛錬と精神がこもっている。ちょっといい方をかえると、「断簡零墨」を求める心情を理解しなければならないともいえる。1字でも2字でもいい、いいものはいいのである。私が中国で買ってきた古い作品など、一度だって読んだこともない。
 書展は努めてたくさん見てほしい。現代の書展もさることながら、数百年前の作品、特に中国の宋、元、明、清の漢民族系の作品。首相だった、大臣だった、高僧だった (日本は特にそうであるが) からではなく、本当にいいものを。 これがなぜ数百年の歴史の中で残ってきたのか、逆に政争、不運の中で歴史に残る名手でありながら消えていった人がこの何倍もいるのではないか、などなど思いながら見てはしいと思う。これも醍醐味のひとつ。

江口 大象 (書源2011年1月号より)

 
   

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