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母の死も歴史の一コマか

 父の25回忌をした平成17年の暮れ、母は皆が何のために集まっているのか一瞬わからなかったらしいことがあった。もうお父さんが死んでから25年にもなるという子供達の話を聞いて「そうねえー」とため息をついていた。

 母は父が亡くなったとき涙ひとつ流さなかった。二人は明治の夫婦らしくと一般論で片付けていいのかどうか疑問ではあるが、ブッキラボーな亭主に耐えている女房という図式で、倒れた時は多分喧嘩中、そして父は当然入院、母も風邪をこじらせて入院中だったこともあって淡々としたものであった。
 母の涙はあまり見たことがない。平成6年の年末、3男の弟が六甲の山を散策中に急死したときも淡々としていた。もし私の子供が私より早く死んだとき、あんな態度でいられるのかと不思議な気持ちで母を見ていたが、人間の生死についての淡白さは、父もそうであったが、母のそのときの印象は強烈に思い出す。

 その母が9月の19日に98歳で静かに他界した。大往生であった。たまたま私は6日前の13日に佐賀県展の審査で帰郷しており、済ませてから見舞いに行っている。元気というほどのこともないが、グループホームの中心にある机に食べかけのお菓子が載っていて、妹が「食べたの」と聞いたところ「いやはじめから割れとった」とかいう会話はしていた。
 私はもちろん涙しなかったが、葬儀場でも初七日を含めたお寺さんでも、そして最後の夕食会では賑やかでさえあった。母もこれでよろこんでいるなと思いつつ喪主をつとめて来た。

 人の死についてはそれこそさまざまな考え方がある。その違いは多分それまでの生活体験が大きく関わっているのではないかと思う。大きく分ければ、死を数千年の歴史の中の一コマとして考えられるのか、目の前の事象として考えるのかだが、どちらか一方という人はいない筈で、どちらかにどれくらい片寄るか、だろう。まあ、いくら考えても所詮人間いつ、どこでどんな死に方をするか選べないのは確かである。

(誠に失礼ながら、香典・供物等は一切お断りしています。)

江口 大象 (書源2010年12月号より)

 
   

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