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まだ若者か

 私は今までずっと、いや今でも書道会の若者と自認していた。しかし考えてみれば四捨五入すれば堂々と80歳ではないか、いつの間になったのか自分でも不思議なくらいであるが、今75・7歳であることには違いない。
 80といえばどこから見ても老人である。そして80になればだいたい隠居するのがあたりまえで、たとえ健康に近い身体であっても中心から退くのが世の常である。常識である。同窓会などすると、ほとんどがリタイアして何か好きなことをやっている。

 ところが芸術の世界はそうはゆかぬ。頭と腕さえしっかりしておれば堂々たる現役で、私もこの歳になり体調を心配されながらも続行体勢にはいっている。
 私より年上で私よりお元気な先生方は数えられない程おられて、私くらいの老齢など書道界として取るに足らぬこと、目立つことなどサラサラない。仕事は降る程くるし、今のところどれをサボろうかなど思いながらもだいたい皆こなしている。手足も頭もかなりくたびれてきていると自覚しているが、まだまだということらしい。
 稽古場では折手本に希望の臨書をして渡しているが、その原本がすでにボロボロになってきた。糸とじ本など悲惨なものである。ちょっと手直ししたらすみそうに思うが、この忙しい最中にそんなことができるか、自分の命とこの本の終末とどっちが早いか分からん-などといいながらどれもこれも放置している。

 こんなこまかいことは別として、最近特に小坂先生の年齢と重ね合わせることが多くなった。あのころ先生は紙をどっさり買っておられたとか、77歳から中国旅行を始められたなあとか、腰が痛くて一度坐ったらなかなか立てんとかいいながらでも、いざ筆を執られたら別人かと思われる程シャンと立って制作されていたとか -。あれには誰もが驚いたに違いない。米寿の個展が終わってしばらくしてからだったが、ある人のすすめで検査入院された時、ベットに横たわりながら「わしはどこも悪くないんじゃ」といっておられた。

 私は来年末に喜寿の個展をしようと考えているが、先生の77歳は若者そのものであった。何の健康法もされない、スポーツにも政治にも全く興味なし、テレビも昭和47年の浅間山荘事件だけは一部始終を見ておられたらしく「ああ久しぶりに長いことテレビを見たわ」と。先生の頭の中は、ただただ書のことだけで一杯だったのではないか。外界との交渉は強いて自分の方からは求められなかった。失礼ないい方かもしれぬが、殻に閉じこもって、穴から外界の勤行を注意深く眺めるような先生であったと思っている。書道界全体の盛衰に頭を痛めておられることはあっても、もうそんなことより自作を書くこと、自作を一歩でも高めること、そんな作品を残すことの方が大切だと決めておられるようだった。事実、個展の謝辞の中で、居並ぶ書道界の先生方を目の前にして 「外での仕事は皆さんにお願いして、私はこれからいい作品づくりに励ませていただこうと思っております」と挨拶された。
当時中野越南先生のことをしきりに話題にされていたので、多分越南先生の生き方と作品、人間性に強く魅かれておられたのだろうと思う。

江口 大象 (書源2010年9月号より)

 
   

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