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漢字改定

  戦後の日本の大混乱を知っている人も少なくなって来た。あのころの政界、家も食べ物もない庶民、疫病等々をここで取り立てていうつもりはないが、(本当のところ書いてみたい気もするが又)漢字に対する軽視に始まって、教育界から習字を失くすことはもちろん、日本から漢字を一切失くしてしまえ、はてはローマ字論者なども出てきて、日本の文化が大ピンチに立たされた一時期があったことは、戦後60年を迎えるに当り記憶しておいてもよさそうに思う。

 事実小学校の習字は消された。数年で復活するのであるが、「道」がつくのは皆ダメだとかいって柔道、剣道、も体育の授業から一時排斥された筈である。
 漢字のようなややこしい文字を小さな子供に教えているから日本の文化は遅れるのだ。ローマ字はたった26文字だぞーというのが当時の学者の単純な思いだったのだろうが、旧漢字を小学校で習った最後の学年ぐらいだった私の経験からすれば、どんなややこしい漢字でもその日のうちに覚えられていた。あんなもの一瞬である。別に私の記憶力がよいわけではなく、小4クラス全員がそうだったように思う。
 今日本は常用漢字をいくつか指定して、それ以外字はひらがなですませている。障がい者、口てい疫、かい離など見苦しい例は枚挙にいとまがないが、右の例は漢字を使ってルビをふったらよいし、順守のように変な宛字を使わずに遵守としてこれにもルビをふったらよいと思う。

 過日韓国ソウル大学の学生が「韓国」と書けない現場をテレビで見た。ということは自国の古典を読むのはむずかしい民族になったということ。あのハングル文字はほぼ560年前に世宗大王が考案したらしく「世界に誇る文字」としてその偉業を讃えた石碑も立っているのに、今になってちょっと失敗
だったかな、と一部の学者がいい出しているらしい。それは中国も同じで、あのものすごい簡略体には今に至っても相当数の反対の学者がいると聞く。漢字は省略の歴史だといってもあれはだれが見てもちょっと酷すぎる。よって筆で書く文字、いわゆる作品の文字はハングルや日中の省略文字ではなく、三カ国とも旧字体を使っているようだ。(韓国でハングルの6曲屏風を見たことがある。)当然日本の漢字系の作品はすべて旧漢字である。

 反省しきりな学者氏がたくさん居られるのだから、思い切って元に戻せばよかろうにと思うのだが、それは素人の考え、やはり歴史は戻りませんよね。その点台湾に行くとほっとする。日本の競書雑誌で頑なに旧漢字に拘っているのが通巻千号を超える「書海」。表紙の「書海」 の文字も右から左へ。わが「書源」は現代にならって左から右だが、創刊当初は「源書」ですかと数人の学者の方から質問を受けた。「書海」は各ページの横書き部分は右から左だし、出品者の名前に至るまですべて旧漢字である。毎月送っていただくたびに「すごい」と尊敬の念をもって見ているが、わが「書源」はそこまで勇気がない。

 「木」の下部ははねてもよい、シンニュウの点はひとつでもふたつでもよい、食偏は「飯・飯」のどちらでもよい。今ごろになってこんなことをいっている。私見は、「木」の下部などどうでもよい。シンニュウの点はひとつにせよ。食偏は「飯」 ひとつに統一せよ。である。今回「鬱・彙」を加えてもらったのは有難いが、書きにくかろうから書かなくていい。というのはケシカランことだと思うが如何。いくら情報機器の世の中とはいえ手書きしてこその文化ではないだろうか。「岡・阪」などが今まで何故なかったのか-。まあいろいろ書きたいことは山はどあるがこの辺で-。
 ともかくこれで改定常用漢字数は2136字になったそうだ。

江口 大象 (書源2010年8号より) 

 
   

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