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メモ魔カキ魔

 昔の話。近所に住んでおられた斎藤維山氏のところへ王鐸の長条幅その他のお宝を見せてもらいに伺った折、途中から急に話の筋が変わってメモ魔力キ魔のことになった。

 私がかつて小坂先生が「炭山南木さんはメモ魔だったといっておられました」といったのがいけなかった。「そんなこというのなら小坂さんはカキ魔だよ」と大反撃を喰らってしまった。しばしの話のあとどっちもどっちだよと2人で大笑いしてこの話題は終わったように思うが、遠い昔のこと、小坂先生ご存命中の30年近い前のことゆえ記憶は飛んでしまっている。
 私ははっきりいってメモ魔である。炭山先生はそのメモを何に使われたのだろう。私はその日何をした、と簡単に箇条書きしているだけ。講演を聞いたり、個人的に印象に残る話があったりしたときなどは要点をメモしたりするが、用途は来年のため数年後のためと、強いていえば「漫筆」のため。私には絶対「空自の1日」はない。何かしている。何もできなかったら「疲れのため何もする気せず」
と書く。

 私のメモ魔はすでに不治の病であるが、先生のカキ魔は、ほとんど全てが制作に結びついていた。あの真似はちょっとできそうにない。鉛筆やペン、小筆などその辺にある筆記用具で作品を推稿したり、ひとつの文字を無数に変形させてみたり-。先生は案外熟慮の上での作品が多かったと見ている。案外と私があえて書いたのは、「熟慮」を表面に見せなかったからで、先生の作品は何枚書こうが偶然の字形やかすれがそのたびに見られた。
 振り返って私は何かの筆記用具を使って予め作品の推稿をしたりすることはない。先生のあの真摯な姿勢を真似ようにも、私の場合小さいものを大きくすると、全く違ったものになることは初めからわかっているので、草稿段階から実物大である。それも2、3枚書いたらすぐ制作にかかる。我ながら大雑把であると思う。性格的なものもありそうだが、私は計算すればするはど面白さのないいやな雰囲気の作品になり勝ちなのである。

 小坂先生が20人展制作に苦しんで、表具店の湯山春峰堂へ締め切りは過ぎたがもう少し待ってほしい旨の電話をされていたことがあった。「この字がねえ」と書きにくいような顔をされたので「先
生詩を変えたらどうでしょう」と失礼なことをいったところ、即座に「もう遅い!」と怒ったような返事が返ってきた。
 今思うと、先生は綿密に注意深く、そして用筆は大胆に作品を創っておられたのである。カキ魔の本領であろう。「この一作」に向ける執念深さこそが私が学ばなければならないことだろうと思っている。

 余談 前出の斎藤維山氏は、そのあとすぐ王鐸は(つまらないので)禅僧の墨跡と交替したと聞いた。その斎藤氏も20数年前に亡くなられて、住居跡は駐車場になっている。方丈記の一節を思いうかべながら-。

江口 大象 (書源2010年10月号より)

 
   

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