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高伝寺の梧竹と蒼海

 五月、佐賀へ行ったときのこと、旧鍋島家菩提寺の慧日山髙伝禅寺(通称「高伝寺」)を訪れた。修復成った大涅槃像(佐賀市指定重要文化財)が一般に公開されているから行ってみる気になったのであるが、そこに偶然梧竹の大額と蒼海の墓があった(東京青山墓地にもあるとのこと)。佐賀県出身でありながらこういうことには全く疎い。

 梧竹の額は大きすぎてどこにも持ち出していないと思う。長野善光寺にある「天華法界」と同じで、持ち出し不可能なしろものだと思ってよい。縦1.1横3.6メートル。大きさは長野には及ばないが、作品の出来はどちらが上か甲乙つけ難いといっておく。書いたときの境地がよい。大字でありながら外連味が全く感じられない堂々たる書きっぶりである。落款に庚子歳冬月とあるので73歳の作。よはど健康に心配のない時だったと思われる。今から111年前に行われた本堂再建を祝って書いたものらしい。文字は「大吉羊(祥)」(書源3ページに掲載)。飽かず眺めてきた。

 もちろん涅槃図の方も堪能して来た(写真は表3に掲載)。こんな大きな軸ものは見たことがない。縦14.4横6.3メートル。さすがに広げられずに上部と下部は巻かれており、見たのは中央の天地5メートルはどだけ。これもすごいものである。話によれば、この大涅槃図を掛けられる堂を造るべく只今計画中だとのこと。縦20メートルにもなるだろう壁は私の想像の範囲を超える。

 満足して本堂を出たあと、山門をはいるとき「副島種臣の墓」の案内板があったことを思い出し墓石を捜し廻った。見つけた。「伯爵副嶋種臣先生墓」文字はあまり巧くないなと思って横を見たら「明治三十八年一月三十日薨 中林隆經敬書」とあり梧竹の楷書であることがわかった。ちょっと線も字形も甘いが、二人の友情(同県人で梧竹がひとつ年上)はつとに知られているところなので、心をこめて書いていることはよくわかる。

 実をいうと梧竹も蒼海も私はあまり好きではない。梧竹はややもすると技術に走るし、蒼海はコケオドシに走る。梧竹は人がまわりに居ようが居まいが無心で書けるときがあると見ているが、現役時代の蒼海のコケオドシの作品は、まわりに人が居るときに限るように思う。しかし枢密院顧問官を辞任してからの晩年の10年間は、その風変わりな文字が本人自身の「面白さ、楽しさ」に変化して、何物をも怖れぬ独自の境地にはいってゆくのである。

 梧竹の技術と蒼海の度胸をいただきたい。そして二人の自信と集中力もー。ちょっと欲張りか。と

江口 大象 (書源2010年7号より) 

 
   

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