投稿日: 2023-12-05
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2023年12号 佐藤 芳越
今年度の徳島県立文学書道館の「書道特別展 小坂奇石―自作の漢詩を書く」 で、去る7月9日に「小坂奇石の漢詩と書」というテーマでトークを担当した。 当日は璞社の山本大悦会長をはじめ近畿方面から、 また、地元徳島からも多くの方々にご来場をいただき有難いことであった。また、小坂家の菩提寺である 法樂寺リーヴスギャラリーからもご参加をいただき徳島の収蔵作品への理解を深めていただいたのも有意義なことであった。
当日は限られた時間で十分な話が出来ず、種々心残りがあるが、その内の一つが、清水寺(せいすいじ)について触れられなかったことである。
清水寺は徳島市南佐古3番町の眉山の麓にある高野山真言宗の寺院で創建は1632年(寛永9)である。なぜ清水寺かというと、同寺は徳島の生んだ幕末の書傑、貫名菘翁の生家吉井家の菩提寺であり、門札「真言宗 清水寺」並びに寺門を入ってすぐ左にある阿波の青石に刻まれた「貫名翁先生之碑」は 小坂先生の揮毫になるものである。
貫名菘翁(1778年(安永7)~1863年(文久3))は阿波藩の小笠原流礼式を司る吉井直好の二男として生まれ、名を苞(しげる)字を君茂と言い、後年家祖の旧姓貫名を名乗った。儒学者であり書家であり画家であった。幕末にあっ て王羲之をはじめとした中国の名家や空海等を学び、古典を重視した格調高い書を残し、市河米庵、巻菱湖とともに幕末の三筆の一人にあげられている。
徳島では郷土の生んだ書傑菘翁の遺徳を末代まで顕彰せんと地元の書家を中心に昭和25年に「貫名翁先生顕彰会」が発足し、翌昭和26年に「貫名菘翁遺墨集」(題字:尾上柴舟)を刊行、さらに百年忌記念として昭和38年5月5日(翌6日が菘翁の命日だが曜日の都合で1日繰り上げ)に清水寺で顕彰碑の除幕式と法要を挙行した。当日は大阪から揮毫者の小坂先生はもちろん莞耿社創設者の西村桂洲氏夫妻も出席している。また同時に、菘翁生家跡地(徳島市弓町1 丁目)に現所有者の理解協力を得て、同じく小坂先生の手になる「貫名菘翁先生誕生之地」の碑が建てられた。両碑とも一般にも読みやすい行書で格調高く書かれ、また裏面には同じく小坂先生の筆で「昭和三十八年五月六日 貫名菘翁顕彰会建立 後学 奇石小坂光書」と記されている。
前回にも触れたが書源誌の前身、書典誌は昭和2年に発刊された。同年7月には小坂先生の徳島講習会があり、同年9号にその折の記事が掲載されている。 宿泊は清水寺であった。地元の郷土史家の計らいで清水寺の裏山で発見された菘翁の実兄吉井其楽の墓を見るためであった。実見された小坂先生は墓標、碑陰共に菘翁の筆に間違いないと述べておられる。その後、鳴門の観潮をされ再び清水寺に帰られ茶をいただいた折に五絶を即吟されたという。
庭院山風至 竹揺氣味清 喫茶人語静 怒濤和輝聲 (題清水寺壁)
今回の展覧会では米寿作品制作時の筆致と思われる
雨過爽嵐翠 滿庭涼味深 老僧拾詩否 高樹一輝唫 (佐古清水寺偶占)
の作品が展観された。また、「黙語堂詩鈔」には
雨過山風至 満襟涼味深 僧家畫蕭寂 列樹老蝉吟 (清水寺(佐古) )
が掲載されている。いずれも詩の風味は似通っているようにも思われる。推敲がなされたものか。それとも別々に作られたものか。 今回、私も両碑を訪ね実見をした。建碑から60年を経過しているが、門札も含めそれぞれその地にあることが確認できた。 吉井其楽の墓も訪ねようとしたが、清水寺の現住職の話では現在はその位置が確認出来ず、また軽装で山中に 分け入るのは危険とのことで、やむなく断念した。
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