文字サイズ

数え年と満年齢

 この四月一日で七十七歳になる。りっぱな後期高齢者である。が、生後一年(昭和22年)の時に風邪から肺炎そして膿胸になり、医師からは余命一週間と宣告を受けた。その一言で、一夜にして父の髪の毛が総自になった。ただ、ペニシリンという薬が手に入れば助かる可能性があるという医師の話を開いた親類縁者が必死に探した結果、長野市に駐留しているイギリスの進駐軍に有ることがわかり、相当な高額ながら入手でき、注射した瞬間に蒼白の全身に赤みがさし、翌日には一滴の膿も出なかったという。まさに奇跡を見ているようだったと、母からは何百回も聞いている。幼時親戚からは「ペニちゃん」と呼ばれていたのは右の理由からで、我ながら77歳は殊の外感慨深いものがある。

 中国、韓国の友人達と話をしていて気が付くのは、彼らは自分の年齢を数え年で言う。両国の今の若者はどうか知らないが、我々は日常生活の中で多くの書類の年齢欄は満年齢で記入する習慣になっているので、あれ?と思う。川村驥山も作品の款記年齢は数え年で書いている。考えてみれば、母親の胎内に宿ったときから「母子手帳」が交付され、堂々たる子どもであるわけだから生まれたら一歳が正しいのではなかろうか。驥山は満年齢と問われる度に「ならばおふくろの腹の中の一年はどうしてくれる?」と、役所の職員に問い質していたという。

 さて、七十七歳といえば世にいう「喜壽」。喜の草書が漢数字の七・十・七に分解できるからだが、左に二玄社の『王鐸字典』を引くと、全て七・十・七プラス一である。ということは七十八歳が喜壽になりはしないか?それなら数え年で七十八歳だから一件落着となる。また爺の屁理屈かと言われそうだが、小生も数え年支持者であることを宣言しておこう。

川村龍洲(書源2023年5号より)

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です