投稿日: 2021-12-03
カテゴリ: 巻頭言(他)
小生の大阪暮らしは、昭和四十五年の夏から始まった。同年の五月、小坂奇石先生に入門した年だが、大阪万博の年でもあり、天六のガス爆発事故が有った年でもあった。厚い鉄板がまるで折り紙の様に折れ曲がり、散乱した事故現場を見た時は言葉を失った。
さて言葉の違いは最初から判っていたが、いざ暮らしてみると長野との違いに気が付く。千林商店街近くにいたので、西瓜が半分・四分の一・八分の一の切れ目で売られているのには正直ビックリした。確かに丸ごと買うより合理的だなと感心したり。また方々で見る「ヒチ」の看板が質屋と判るまでに時間が要ったし、今では見なくなった「ちちもみ」の看板にも???と。
色々な違いの中で一番狼狽えたのは、エスカレーターの立ち位置の違い。当然左に立っていると「邪魔や!」と叱られてビックリしたものだ。立ち止まっている人は右、歩く人は左で車と一緒だという説明を受けて成程と。確かに右利きの人が多いから、エスカレーターのベルトを掴むには、右に立つのが自然かと納得。大阪通いも半世紀を越えると体も大阪仕様になっている。
友人の大学教授が、今の学生は右翼と左翼の語源も知らないと嘆く。確かに日常的にも「右寄り」「左寄り」は使うが、その語源はと聞かれて自信をもって答えられる人は何人居るかしら。元は、フランス議会の議長席から見て、保守派の議員は右側に座り、革新派の議員は左に座ったことから派生した言葉だそうで、それが思想的な保守対革新の意味でも使われるようになった。
興味深いのは中国語の「左右=zuoyou」は、左と右以外に「およそ」とか「約」という意味で使われるのは面白いと思う。まあ、そうはっきりしなくてもどっちでもいいよ、ということか。そうは言いながら封筒の裏面の糊封は気になる。巻紙の手紙を左から折ってくると、最後は右が上になって封をするようになり、これが正しい。
その逆に、右から折って左が上の「左封じ」は内容が弔事であることを意味する。ところが現在使われている横封じの封筒は、ほぼ百パーセントが「左封じ」であり、これは何としても正しい「右封じ」に改めて欲しい。その点で、東大出版部と京都国立近代美術館の封筒は、ちゃんと右封じになっていて流石に!と感心している。
川村龍洲(書源2021年12号より)
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