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一作一面貌

昨年の第六十回記念璞社書展から半年が過ぎた。コロナ禍で多くの展覧会が中止される中、また九月に江口先生が急逝されるという誠に想定外の厳しい状況下での開催であったが、責任者を仰せ付かっていた私は、中止する考えは全く無かった。むしろ、第一回からの唯一の連続出品者である江口先生も楽しみにしておられたであろう記念展を先生の弔いの意味でも、是非とも開催するという決意であった。しかし、コロナ禍で準備作業等のスケジュール面でも、三密対策でも従来にない対応を強いられた。また例年併催の全国学生みなもと書展は準備が間に合わず、恒例の表彰式、懇親会も中止をせざるを得なかった。本来は六十回記念展でもあり、盛大に、という当初の予定であったが、京阪神地区以外の会員の来阪も叶わず何もかも異例づくめとなった。

しかし、結果的には、書道界の先生方やマスコミの方々、書道愛好家の皆さんに予想外にご来場いただき、開催して良かった、と山本大悦新会長とも話したことであった。
江口先生も亡くなる一か月前に「飛翔」等三点の新作を制作していただいていたし、第4室での旧作による「回顧 この一作」展では、驥山館収蔵の大作六点と「破顔大笑」を含む七点の展示が出来たのである。
この第4室の江口先生の作品には、2ブースを充てたが、こう一堂に大作を並べると流石に迫力があり、見応え十分であった。

江口先生は楷書、調和休も書かれるが、いわゆる行草作家である。それは、師の小坂先生がそうであり、また小坂先生の師の黒木拝石がそうであったことに起因する。私が初めて江口先生にお目にかかった頃、江口先生は三十代の半ばであった。江口先生の三十、四十歳代はその表現が目まぐるしく変化していた。一年の内でも、書芸院、関西展、日展、璞社書展と数カ月の内にそれぞれ変化して行くのである。しかもそれが、小坂奇石を踏まえての展開であり、線条と造形において逸脱、乱れはない。行くとして可ならざるは無しという勢いであった。その江口先生が、いつの頃からか、書家が最後まで書風を変化(もちろん古典を背景としてではあるが)させて行くのは良くない、一応の年齢になったら書風を固めた方が良いと言われた。意外な感じがしたが、師の小坂先生が王羲之、顔真卿、米芾、王鐸を基調に奇石風という独自の書を確立されたという学書過程が念頭にあったのであろう。お若い頃に王鐸に傾注された江口先生、質量ともに師奇石でも王鐸でもない江口大象の書を残されたのではないだろうか。小坂先生は書の「格調」を言われたが、江口先生は、分かり易く「無理なく品良く」と表現されていた。璞社書展の一連の作を拝見していると、行草作が中心ながら、一作毎にその趣きが自在、多様に変化し、かつ自然体であることに改めて気づかされた。

書風を固定せよと言われながらも、「一作一面貌」を貫かれた生涯ではなかったか。天賦の才と言えばそれに尽きるが、行草体の稀代の名手の御一人だったと言えよう。
(なお、長らくお世話になりましたが、璞社書展役員展覧会部は今年度より中村素心新部長の下、運営されますので、皆様の引続きのご支援、ご協力をよろしくお願いします。)

佐藤芳越(書源2021年6号より)

 
   

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