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かすれとにじみ

きれいがいいか汚いがいいかと問われたら私は躊躇なく汚い方を選ぶ。自室、身のまわり、書作品。私にはきれいにする能力が乏しいらしい。汚いといっても不潔、下品はご免。

大学の寮では先輩が残していった古い反故紙をそのままにして二年間(三年目からは目黒寮)掃除もせずに上へ上へと重ねていった。後輩はどうしたのか。反故が一段と高くなって、二十センチはど高くなっている畳の間の方へ流れてきて-。ある日袋戸棚は何がはいっているんだと思い切り開けたところ百冊を超えるエロ本が音を立てて落ちてきた。元兵舎だったと思われる寮は、すでにボロボロで、私達が寮を出たあとは後輩が住むでなく、取り壊されたのではないか。先輩達がいる二階などたまに訪れると廊下を歩くたびに壁がゆらゆらと揺れていた。よかったのはその廊下が広かったこと。部屋の中は反故の山なので、有難いことに大作の全てはそこで書けた。

その寮は練馬の大泉にあった。そこから池袋へ出て山手線で新宿、中央線に乗り換えて武蔵小金井まで-。あまり真面目な学生ではなかったが、何分かかったか。帰りは池袋の安いめし屋を梯子することが多かった。あのころは恥ずかしいくらい大量に食べていた。
すみません、こんなことを書く予定ではなかった。字肌がツルンとした字は嫌いである、が今回の主題のつもりで書き始めていた。

さて、といってもかすれもあまり好きでない。反対に小坂先生はお好きであった。私の作品にかすれのないことを揶揄して小坂先生のかすれの部分を勉強しなさいと私に忠告した人がいた。かすれも必要だろう、門下にもそれをしょっちゅう言っている。しかし作品にかすれの出てくるのは北宋ぐらいから。初唐に四十代で書いた孫過庭の「書譜」にもそれはない。多分上質の本画仙が出来るようになったことと関連があるとは思うが(現在のような紙の製法が中国で出来たのは紀元六十年(百五年という説もある)ぐらいといわれている)当時渇筆での傑作を残しているのは米芾ぐらいのものである。われわれが真の古典と稱している宋以前にはかすれもにじみもないと思ってよい。
それが書作品に出始めるのは明代以降、現代の日本の書もこの流れの中にある。(付)

数年前の朝日新聞に百三歳の篠田桃紅さんの記事があって、その中にニューヨークで作品を書くと室内が乾燥しているため、日本では出る筈のにじみやぼかしが思い通りにならない、というのがいやに面白く記憶に残っている。にじみやかすれを全く評価しない欧米文化を心底理解した瞬間であった。

江口大象(書源2019年9号より)

 
   

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