投稿日: 2019-08-06
カテゴリ: 巻頭言(他)
あるテレビ番組で椅子職人が、規格物の商品を同型・同質なものにするために力を注いでいる姿をみました。それは商品にするためには必須であるらしく、確かに商品は椅子に限らず、どんなものでも大きさや品質が均一であることが問われます。職人の個性を殺してまでも同一なものを作らねばなりません。
我々書家が日頃お世話になっている紙や筆、墨などはどうでしょうか。画仙紙に漉き斑があったり、一枚ごとに品質が違うと困りますよね。筆や墨も同様です。これらは商品として同一品質になるように職人さんが腕を振るわれているからこそ私たちは安心して使うことが出来ています。ところが、商品化する前の開発段階はどうでしょうか。他の商品とは違った特徴を出そうと、色々なサンプルを作り、その中から選び抜かれたものが商品となるのです。つまり違ったものを作ることが出来るからこそ同一なものが作れるのだろうと思います。言いかえれば、予定された必然のなせる業が商品となるのです。
一方、芸術家はどうでしょうか。同一ということを嫌い、個性的なものを作ろうとし、一点物に重きを置いています。そういいながら書家は繰り返し繰り返し古典の臨書をし反復練習をします。それは紙や筆などの道具、さらに運筆法などが、どんな条件下であれば思い描いている通りの線質や字形になるのかを分析し、しかもコンスタントに表現できるように繰り返し鍛錬している訳です。つまり、偶然を装った必然のなせる業が芸術作品を生んでいるといえます。
職人と芸術家は目的が違うだけで根底は同じです。我々は時には職人となり徹底的に臨書をしたり、同一作品を書き込むことをしてみませんか。そしてそこから習得した技術を駆使して、作家の個性豊かな作品を生み出すために、楽しみながら創作活動をしたいものです。
山本大悦(書源2019年8月号より)
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