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「飲中八仙歌」始末記

昨年の第58回璞社書展が終わってすでに半年になるので、皆さんの記憶も薄れかけていると思うが、特別展示の「飲中八仙歌」の経緯について遅ればせながら、触れておきたい。

江口先生は一昨年、旧作230点を長野の驥山館に寄贈された。(この時、同時に成田山書道美術館、徳島県立文学書道館にも寄贈されたと伺っている。)それを記念して、驥山館では一昨年秋、昨年5月、昨年秋と3回に分けて、寄贈記念「大象のかたち」展が開催された。3回目の昨秋の開催に合わせ、江口先生は驥山館の若き後継者、川村文齋さんの要請に応えて、驥山館への寄贈を前提とした新作「飲中八仙歌」を揮毫されることとなった。

驥山館には、既に川村驥山、小坂奇石両先生の「飲中八仙歌」が収蔵されており、江口先生の「飲中八仙歌」を加えて三大家による「飲中八仙歌」の競演を3回目の「大象のかたち」展の目玉にしようと企図したのである。併せて、江口先生は本作品を第58回璞社書展出品作三点の内の一点ともされたのである。

昨年の6月頃江口先生より驥山館館長の川村龍洲先生(璞社顧問)より、驥山館所蔵の驥山、奇石の「飲中八仙歌」を貸出すので、璞社書展でも驥山、奇石、大象の「飲中八仙歌」の展示をしない?との打診があるがどうする?とのお話があった。但し、驥山の代表作の酔後の作(56歳)は表具の関係等で貸出しは出来ない。代わりに珍しい醒時の作(75歳二曲一双)があるのでそれを貸す、とのことであった。興味を牽く話ではあったが、①驥山と言えば、やはり酔後の作ではないのか。②搬送、搬出入、展示の扱いをどうするか。③図録の扱いをどうするか。等の観点から当方に余力もなく一旦はお断りをした。しかしその後龍洲先生から再度の打診、資料提供等もあり、結局、お借りして展示することとした。

早速、3点の壁面模型を作り、7月の徳島直心会錬成会で江口先生に見ていただき、搬送は驥山館の文齋さんと静観堂さんにやりとりをお願いし、搬出入も静観堂さんに対応していただくことにした。図録については、驥山醒時の作のみならず、やはり酔後の作も参考に載せないと皆さんにわかりにくいと思い少し小さくし載せることとした。また特別展示について何らかの解説が要ると思い、急遽図録の冒頭に款記に着目した一文をつけた。搬入時の3作品の展示は表具店さんに何度も微調整をお願いした。また展示作の横にも説明のキャプションをつけ何とか体裁を整えた。

「飲中八仙歌」は中国盛唐の詩聖杜甫(712~770)の詩。李白(701~762、詩仙と言われる)を含む8人の酒豪(賀知章、汝陽王、左丞相、崔宗之、蘇晋、李白、張旭、焦遂)の酔態を詠じたもので、酒にまつわる詩として、しばしば書の題材となってきた。特に川村驥山の酒好きは有名であり、「飲中八仙歌」を何点か残しているが、醒時の作は珍しい。款記に醒時の作も酔余と変わらない。酔醒また一如だと記している。奇石の作は87歳の作で翌年の米寿個展に出品された。枯淡、天真爛漫の書で款記には微酔とある。江口先生は83歳の作で酒を飲まずに書かれたとのことだが、闊達無比、気力充実の快作であった。款記には六月廿日、大雨中とあり、雨男、江口先生の面目躍如である。
果して璞社書展に先立つ昨年11月の驥山館での「大象のかたち」展では驥山酔後の作が展示されていたが、江口先生の解説日は大盛況であった。また璞社書展での特別展示も衆目を引き大いに話題を提供したのは言うまでもない。

そもそも当該企画は、川村文齋さんの若き着想に端を発して成ったものである。驥山、奇石、大象の「飲中八仙歌」は戦前の東方書道会の流れに沿うものでもあり、それぞれの書風の展開とともに款記や制作秘話を語り継げる驥山館の収蔵品として将来に渡って末永く鑑賞者の目を楽しませるに違いない。

佐藤芳越(書源2019年6月号より)

 
   

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