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十億年後の話

今まで一万二千年前ごろまで生きていたとされていた「インドネシア・フローレス原人」は、五万年ほど前から生存していたと英科学誌ネイチャーに発表された。
フローレス原人は成人でも身長が110ほどの小型らしく、それから数万年の間に無数の人類が進化分類して現在に至っている。
北海道のむかわでついこの間(といっても十四年前で、鑑定をしたのは六年前)七千二百万年前の人骨がほぼ完全な姿で発掘されたそうだ。

前にも書いたが私はなぜかこんな昔々のことに興味がある。その頃は日本列島も大陸と繁っていたのだろうとか—。いや今回はもっと昔の地球誕生から生物出現までのこと。地球の表面が急に冷え、海が出来てからでも強い紫外線で生物は深海にしか住めなかったようで、約三十億年程前にやっと海から顔を出しかけたとのこと。この前のテレビでやっていた、一万メートルを超す深海にはぼ透明な魚が悠々と泳いでいて何と水圧が小指の先はどのところに数トンかかる詰も面白かった。これは今現在の話。
想像はしていたが、実際に映像を見せられると地球はまだまだ火の塊。九割ほどが火の玉で、その上に薄皮が掩っている。その薄皮の中に山あり海溝あり大陸あり—。いやーすごい年月ですなあ。序に太陽系の八つの星がどんなにして生まれたのか。水金地火木土天海冥。最後の冥王星だけは多少疑問らしいが、ともかくせめて月誕生(これぐらいはもう発表されているか)の経緯ぐらいは—。

こんな大きな太陽系が宇宙の中にいくつあるのか。宇宙の果てはあるのか—。地球物理学専攻の者なら簡単に答えられそうなこんな素朴な疑問、疑問を持つだけで楽しい。
私達地球人は今目先きのことで勢一杯。話題もそればかり。そりやあその方が面白いに決まっている。テレビ、新聞、週刊誌、政治、犯罪、その方が注目されるに決まっている。

振り返ってわが書道界を思う。文字らしきものが出来たのが五千年前としよう。仲間に伝えたいことがだんだん増えてきて中国では暗号→甲骨文字→篆書→…。ヨーロッパでもはぼ同じ時期に。
まあ素人がこんなことクダクダ書いてもしようがない。要は小さな地球の上で—その中の小さな島で—。書の古典研究といってもたかが三千年。王義之は大昔の人のように思うが、紀元三百年代の人。それから北宋までの諸がほぼ書の基本とされているがそれでもざっと千七百年前。考えるまでもなくわれわれは歴史の一瞬の間に過ぎ去って行っているのである。人の命がでなくて、政治も経済も芸術(書)も何もかも—。

これだけ書いて今さら言うのも悍かれるのだが「書は面白い」ですなあ。それは私がたまたま書家だから言えること。他の分野の人は皆それぞれに自分のところを面白いと思ってやっているに違いない。しかし書のように人の心、運筆の途中の一瞬の迷い、などが手に取るようにわかるもの—この間相撲を見ていて相撲も一緒じゃないかなどと思った。
古典をしっかり勉強して、半切から大作へ—。いずれ皆そう思って筆を握っているが、短い人生の一生の中のどの辺で「自己の自由」に気付くか。早くても遅くてもいけないし、個人差もあるだろうし。

地球誕生、人類誕生の話からこんなちっぽけな話になってしまった。話を元へ戻そう。太陽の老化は自身を燃料にするため今より明かるくなるのだそう。十億年ごとに十パーセント明かるくなり、もうその段階では地球の水が干上がり地上のはぼ全ての生物は絶滅するらしい。
長くなるので簡単にいうと地球の寿命は約十億年。そのころ火星が現在の地球環境に近くなっているからお金持ちの方はそちらへ移住。三十五億年後は金星へ。そして最後に太陽の死滅は一兆年後—。太陽系の死滅は千兆年後—。

江口大象(書源2017年12月号より)

 
   

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