投稿日: 2016-06-30
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
「散髪屋の隣りで座っていた人はあの人ですか」行きつけの喫茶店「梵」のママさんが、その人が帰ってしばらくしてから私にそう言った。口に手を当てておかしそうに、あの人床屋の中でどこを散髪しに来られたんですかねと言っていたらしい。
私はほとんど毎日のように朝目を覚ますとこの喫茶店へ行っている。そして二カ月に一度ほどそこから歩いて十分ほどの床屋へ行く。どこをカットするなんて余計なお世話。後頭部にはちゃんと毛が生えているし、耳の上の鬢にいたっては「鬢のほつれ」といえるほどの色気は露ほどもないが、そこにも立派な毛がある。
二十年以上も前のことだ。栗原蘆水先生と大阪へ帰る途次、新幹線の中の四人向い合わせの席のとき
「江口君はいつごろから頭の毛がなくなってしまったのかね」
「そうですね数年前からですよ。でも鏡で見るのとは別に、自分で撫でるとまだまだ真中にさえも毛があるんですよねぇ」
あとの男性二人は誰だったか失念したが、皆それ以上の話にはならなかった。ウイスキーの水割りで結構盛り上がっていたのに、私のひとことは皆を白けさせたのである。
この「梵」は四月十八日で開店五十周年になるそうで、私が書いた小さな紙切れを印刷し袋に貼って、その日の前後にお得意様に配るらしい。中身は純国産米三合、当然お友達でもありお米屋さんでもある芳本大佳さん宅直送の、これより旨いご飯はないというお墨付きの白米。この「梵」には買ってもらったり上げたりした私の作品が二十点近くある。そのうちトイレの中まで入れると十点ほどが常設されている。この小さな紙切れの現物は半紙一枚。今、表具をして正面に飾ってある(裏表紙に掲載)。
話を禿に移そう。もちろん鬘の詰もあった。禿げかかった三十年近く前のことだろうか。その後隣りのつる禿のお菓子屋のご主人が、ある日突然フサフサの毛をなびかせていつもの如く梵へやって来た。皆驚いたが本人は平気なもので、周囲も三日もせぬうちすぐ馴れた。
次は帽子で、寒い日と夏のカンカン照りの日などは皆さん決まって帽子を勧める。いろいろの帽子があり、中には毛糸の手編みかと思われるものまで-。三カ月に一度くらい審査に来られる安達翠鳳さんなどは、スポッと手編みの帽子を皆の前で取って、中から出るツルツルの頭をご披露される。
しかし私は何か落っこちて頭にでも当たったら怪我するよ、などといわれながらも未だに被ったことがない。自然のまま。
筆の命毛の数本を極めて必要とされる先生、そんなものいらんと鋏でチョキチョキ切ってしまわれる先生。小坂先生は髪はとてもきれいに整えておられたが、筆はたまに固まったままゴシゴシと新聞紙に擦りつけて穂先を馴染ませておられた。私は成り行きまかせ。
江口大象(書源2016年7月号より)
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