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英語教育を強化する前に

東京一極集中はいけない、日本のためにいけない、とはもう随分前からいわれてきている。関西のひがみではなく、今は東京が潰れれば日本はひとたまりもない。この中には地震も津波も少子化も全て含まれている。

ずっと前、ふと見た日経新聞に「文化庁」を京都へ移転?といった記事があった(昨年六月二十二日(列島追跡)欄)。しかし当時の石破大臣は「京都には文化庁が東京から移ることでどれだけの効果が上がるかを示してほしい」などと言っている。たしかに「労力をかけて移転効果を検証する必要があるのか」との声もあるにはあるが、しかしこんなことは国が主導権を持ってやらなければ一つとして進まない。今のところ地方に丸投げの形に近い。

いつのことかもう忘れたが、英語教育は大切として数年後には小五ぐらいから正式教科に入れるのが適当だと文科省は結論を下したらしい。たしかに英語教育は必要で、日本が国際的に翔くためには何はさておいて—と。私もたしかにそうだろうと思う。
しかし、「アサヒウィークリー」での行方昭夫さんの主張を読むと「日本人なら、日本語と英語のどちらが大事かと問われれば日本語です」とあたりまえに答えておられる。日本語を知らない日本人、まして日本の文化はレベルが低く、欧米の文化が何よりも最高、と思い込んでいる日本人。さきの行方さんは続けて「英語の授業をとり入れるとほかを圧迫する。小学校で英語を習った子が、優位を保てるのは中一の一学期まで。となると中学からでも遅くない。」そして「英語教育者を養成するにも時間とお金がかかります。すべて税金。無駄ですね。」とも付け加えてある。東大名誉教授で英文学、英語学界の大御所の重い発言。

もう一つ序に。昨年の九月ごろ「おもしろい本を見つけました。一冊もらって下さい。」との手紙をつけた「英語化は愚民化」と超した集英社新書を入手。慶大卒で現九州大学大学院准教授の施光恒さん。おもしろく一気に読んでしまったが、原文のほんの一部を紹介しておこう。「日本が本当に目指すべきは、日本人の英語力強化ではない。目指すべきは、非英語圏の人々が安心して日本人と同じくらい英語が下手でいられる世界の実現である。日本人が英語下手なのは、日本では日本語による近代化に成功し、日本語だけで何不自由なく生きていけるからである。(中略)世界中の文学も読めるし、歴史を学ぶこともできる。創造的な技術や芸術、ビジネスも、スポーツも(中略)、こうした非常に恵まれた環境に暮らしているので、日本人は英語が下手なのである。これはとても幸せなこと—(後略)。」

文化庁の移転から話はとんだ方向に行ってしまったが、重ねて言う。私は英語教育の強化に反対しているわけではない。
その前に日本の若者に日本の正しい近代史(どこかの国々のように偏らず)、日本個有の文化(宗教、芸術など)、日本人のものの考え方、などなどをもっとしっかり教えてほしい。

江口大象(書源2016年6月号より)

 
   

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