投稿日: 2015-04-29
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
太古の昔から人間は戦いをしてきた。生きものは争う、と思うしかない。動物は海の中も陸上も虫も皆、もしかしたら植物も闘うことで今日まで生き残ってきたと思う。戦いに敗れた種は絶滅したのである。今は動物も植物も絶滅種を指定してその保存に躍起になっている。その中に感情論まではいってきて、捕鯨禁止の運動が世界に広がっているが、ともかく戦いは生きものの宿命なのである。それをやめようといっても—。
人間は理性を持っている。だから平和は実現できると世界のあちこちで平和を叫ぶ人や団体が常に現れデモにも暴動にも発展している。テレビが出来てからニュースはその日のうちに全世界へ発信されるので、たとえ平和な国にいたとしても争乱はすぐに伝わる。
かつて私が中国にいた小学生のころ、毎日食事を乞いに来ていた中国人が「八路軍が来た」といって驚喜していたことをかすかに覚えている。八路軍は共産主義者の軍隊のことで、指揮者は毛沢東。富の平等、貧民の除去を高らかにうたいながら蒋介石一味を駆逐してきた人民軍ともいえる。
私達日本人は敗戦のその日に地元民に襲われて家の中が一瞬にして空になった。
ただその人民解放運動家の英雄毛沢東でさえ晩年はあの通りである。理想とは裏腹に権力を握り腐敗の道を歩む。そしてその間の文化、芸術の頽廃はすさまじい。
今の中国は官僚の腐敗絶滅に躍起だし、北朝鮮も韓国もややこしい。それより何より中東の紛争はいつ終焉を迎えるのか。
とりあえず今の日本はこの七十年間平和である。多少のいざこざは別として殺し合いの歴史には終止符を打ってきた。ありがたいことである。
一般論としていった場合、ある一つのことを決めるとき、大まかに分けて二つのグループに分かれる。二十年、五十年後の世界を見て意見をいう人と部分から全体を見ようという人である。当然双方にいい分はあるし、どちらがいいかはわからない。ただいえることは、できれば両方の見方が出来る人が出て来ないかとの儚い望み—。望み薄か、いても強力な全体を率いるリーダーにはなりにくい—。
今、二玄社の仕事として「漢字かな交じり書-色紙四十点八十頁」を急いでいるところ。まあそれはいい。個展に間に合わせるべく頑張っているらしい。ところで江口さんは何を中心に書きたいですかとこの話の冒頭に問われたとき即座に「菜根譚」といった。
偉そうに菜根譚といったが、大した知識はない。中国明代の洪自誠という政界を離れた人物が、儒教でもない、道教でも仏教でもないいわば「中庸の徳」らしきことを根本に人生の生き方を説いている本、という程度の知識である。当時は面白く読んだ記憶があるが、書いてみると意外にむずかしい漢語が並んでおり、私が読んだ本はもっとやさしく書き直したものだったようだ。
人間同士の争いは今後も地球のどこかで続くであろう。これは認めるしか仕方のないこと。そして多分これは長い目で見れば直接間接を問わず文化文明の発展に寄与しているに違いない。現在目の前に見える動物はもちろん、植物も何億年かの進化の戦いの末にうまれた産物ではないか。人間もその中に入ってしまうのか、せめて私たち日本人は平和に物事を解決できるはずだと信じている。
菜根譚の著者洪自誠はいう「富も地位も浮雲のようなものと悟っているが、人里離れて山中に住もうとは思わない」と。
江口大象(書源2015年5月号より)
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