文字サイズ

まとまりのない話

私の夕食時間は今でもバラバラである。門人が今より遥かに多かった二十年ほど前など、最後に帰る人が夜の十一時を過ぎて、その一時間ほど前から、稽古場にはいって来た順番ではなく、終電時間優先、当然自家用車の人は最後、とかいう時代があった。それから帰り支度をしてタクシーに乗って帰って食事。晩年の小坂先生は奥さんが声を掛けに来られた時が夕食タイム。このほか真似られないのが添削していただくために持っていけるのは半切でも半紙でも全て一枚キリ、展覧会作品は三枚はど壁に吊ったものの中から一番いいのを真赤に添削。締切りが明日でも、である。

小坂先生の稽古場風景については34巻11号の巻頭言に少し、そしてざっとした講演録を次の号に書いているのでこの辺でやめておこう。

さて今の私は数年前から二カ所の稽古場(自宅と本町のマンション)とも事務の女性二人が手伝いにはいってもらうことになり、非常に楽になった。お金を扱わなくてよい、大作の掛け替えに動かなくてよい、いろいろの忘れてはいけないことのメモなど全くする必要なし、そして近年は門人の配慮でほぼ七時には終わる。

夕食も早くなった。早くなったが、お互い飲んベェの妻と二人の夕食はのんびりしたもので、たとえ六時に始まったとしてもそれから約二時間。二時間も何をしているのだろう。

モタモタしていても九時過ぎにはお互いのベットルームヘ。家内は録画した番組の消化に忙しそうだが、私はニュースとスポーツ。スポーツは特に好きで、この前のアジア大会のときなど毎日放送さえ押せば何かのスポーツをしていた。通常はたいていこの時間、夕刊紙か週刊誌を拾い読みをしているのだが、アジア大会のときはそちらがお留守になって、たった二種類だけの週刊誌が十冊以上目の前に溜っている。

スポーツなら何でもいい。ここに到るまでの練習、挫折、転向、皆それぞれの人生があっただろう、そしてこれからの人生も、などと思いを馳せればいくらでも見方は拡がる。

日本人はなぜ優勝々々というのだろう。日本人のことしか知らない私が云うのはおかしいとは承知で云うのだが、優勝なんてとんでもないといいながら優勝したものはいるのか。そちらの方が日本人らしいと思うし、闘志を内に秘めて、落ち着いて勝つ—
リラックスなんてはじめからしている。テニスの錦織が一時そうだったかもしれない。

このとりとめもない話、書人の制作態度、作品から見える作者の心理状態などなどに結びつきそうでそう簡単には—。今月はボケた話ですみません。


江口大象 (書源2014年12月号より)

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です