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卒業してからが人生

二十歳代前後の若者は約七割が文字を手書きしているという。文化庁の国語調査の結果なので(読売新聞昨年九月二十七日)信じてもいいと思うのだが、スマホばかりいじっている連中を見るとどうも—。

このごろは「漢字検定」大はやりでテレビでも盛んにその手のゲームをやっている。これも又よい傾向だろう。しかしあのマジックで書いた解答の文字はもう少しどうにかならぬものか。字形はおろか誤字は平気、筆順などとんでもないところから書き始める人が多い。小学生ならいざ知らず(小・中学生の方がよく知っているか)大人、それもどこかの大学の教授連中が、である。

「漢字がある以上韓国文化の発展はない」といって四、五百年前にハングル文字を考案した世宗は今では韓国の英雄であるが、それについての反省は全くないのであろうか。十数年前韓国で毛筆ハングルの六曲屏風を見せられたときは、身を引くというよりしげしげと見た。この文字でこんなこともできるんだ。まるでタテ書きのアルファベットか、よく言って片仮名だけの屏風作品を連想してしまった。

この国での漢字再成は不可能だろうか。しかし人名・地名は漢字だし、新聞にも漢字が散見されると-。昨年秋にドイツで開催された「第二十九回国際蘭亭筆会書法展」では中国はもちろんであるが、韓国の現代書家が漢字で発表しているものが多い。でも国民全体から見れば一部だろう。言っておくけど、繁体字を子供に教えることと学力の上下とは関係ないと断言したい。私は昭和十年生まれなので小四までは旧漢字、いわば繁体字であった。子供の頭を鈍くなった頭の大人が馬鹿にしてはいけない。あの頃は何でもすぐに覚える。

あたりまえのことであるが、子供は群れたがる。同じことをしたがる、友達がやっていることをしないと仲間はずれになったような気になるそれもわかった上で言うのであるが、何か一つでもふたつでも違ったことをさせるようにはならないものか。いい高校へはいっていい大学へ行っていい職業に就く。それはそれでいいが、いい大学がいい人、いい職業が安定した職、自分の選んだ道に近いとは必ずしもいえない時代になってきているのではないか。学歴なんて—と思いはじめ、卒業してからが本当の人生なんだ—と。

たとえばの話、大学で南アジアやアフリカの言語を学ぶとか、スポーツでもオリンピックにないマイナーなものに挑戦するとか。人のやらないことをやりませんかね、そんな子供のお母さんになりませんかね。
ヨーロッパを旅して一番不思議に思うのは何でもかんでも左右対称にきちんと造られていること、墓石の故人名がすべて活字であること、あれでは「書」なんてわかってもらえる筈がない。「根本が違う」と思わざるを得ない。

毛筆などよりも「英語」。それも小学生から。もちろん悪いことではない。しかしこのままだと、日本を消そうとするあちこちの国の謀略にかかること疑いなしですかな。

江口大象 (書源2014年10月号より)

 
   

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