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守破離

 先日徳島の五果会(故東甫白亭氏門下—今は豊浦春光さん)の賛助作品のためにふと思いついて「守破離」と書いた(表3に掲載)。そのすぐ後だったか「墨」の太田編集長から電話があって「いつも心にある言葉」の特集を組みたいのでぜひ、といわれた。
 私の「座右銘」らしきものを強いていえば「なりゆきまかせ」。しかしこんなこと書いてもくだらん。さて、と思っているところで右のことばにさせてもらった。わずか三日後ぐらいのことで、他に思いつかなかった、というのが本音である。
 「守破離」は誰でも知っている。人口に膾灸されているとはこのことで、意味を書くのも悍られるがまあ書こう。

 まずは師の書風に惚れ、それに近付こうとすること。姿勢、執筆法、古典、作品はもちろんのこと、メモ、ペン字の類まで-。次にその型を少しでも破るよう努力してみること。私は筆を根元までおろすことを試みた(小坂先生はほとんどすべての筆の根元を固めておられた)。これで書風は一変したが、渇筆は当然のことながら減る。
しかし筆に関しては固めるのが正しいのではないかと思いはじめ、根元まで下ろすことは二十年はどでやめた。考えるに、現書道界の傾向として、純羊毒の使用が減ったことと関連するのかもしれない。

長い書道史を考えてみれば、にじむ紙、それに合った純羊毫などが出現するのは北宋の末ぐらいからで、それまではにじみもかすれもない。あっても速筆によるかすれだけである。そして最後に師風から離れ、独自の作風に向かうこと。もちろんこれが一番むずかしく、私自身半ばあきらめかけている。というのも「独自の書風」が品を落とさずに師を抜けるかにかっかているからで、わが家に掛る五点(当然もっとある)を毎日眺めながら、七十九歳になった私が六十六歳の先生を越えていない。「離」はむずかしい。「守」で終わったと思われる人、思いつくままに米友仁、呉琚、李廉士、何維樸、「破」まで行った人、王献之、帳旭、顔真卿、趙之謙、何紹基、傅山、その他大勢。

「離」はたくさん居るようだが果して品の問題をクリアしたのが何人—。品は王義之以降下り続けている。とはいつか書いた気がする。これは時代とでもいっておく。人間も時代とともに智恵がついて、より一層微妙にずる賢くなっていると思いませんか。

江口大象 (書源2014年6月号より)

 
   

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