文字サイズ

文字は手書きで

あるとき、どうしても「短絡的」ということばを使いたくて辞典を開いたところ、電気の回線がどうのという意味以外なかったことがある。大昔の話である。最近「魅かれる」と使おうと思っても「魅」には「ひ」の読みがないという。仕方なくその時は「惹かれる」を使った。「拘る」もない辞書がある。みんな使っているのに辞書にない。「伸びる」と「暢びる」とは多少とも意味が違うように思うが、前者しかない。「順守」は今まで通り「遵守」がいいと思うし「十分は」は「充分」でなければ十分間みたいでしっくりしない。
「広げる・拡げる」はあっても「展げる」はなさそう。「人込み」「人混み」はどちらを支持?正解は前者だがどうも私は後者の方が好みである。

最近、文部科学省も漢字の使用枠をやたらと増やしてくれているので、この手の愚痴は年々少なくなるとは思うが、「ら致」が「拉致」になって一安心した。あれでは何のことかさっぱりわからない。
と、ここまで書いたところで、最近は何もかも機器化されて、手書きする者などいないことに気がついた。気がつくのが遅い。となると辞書にないものは出ないのである。本人が理解してさえおれば、漢字などどう読んでもいい、ルビさえつけたらなんとでも、という時代がなつかしい。
今の世の中、機器を自由に使いこなすことは絶対必要なことである。しかしやはり貰うなら手書き文字の方がいいに決まっている。手書きの動作は頭を活性化させますぞ。「書源」誌購読の皆さんへ!あなたはもちろん、子や孫へは「手書き」のおすすめを—。誤字なきよう、筆順は確かに—。いやぁいっていることが老人くさくなりましたかな。

ここまでの駄文は机の奥からひょっこり出てきたもの。「使いたいことば」と題している。何年前のものか、十数年にもなろうかと思うが不明。つい先日の校正の段階で「巻頭言」がないことに気付き急遽ピンチヒッターとして登場。当時はこんな理屈っぽいものはダメ、として机の奥に突っ込んでしまっていたようだ。
「文化は決して後戻りしない」ことをふまえつつ書いた先月号の「中国の繁体字思考」のことを多少の期待を込めて書いたのであるが、そこに書いた書美術振興会の日本での運動のあとに「書道国会議員連盟」が設立されて、書道美術新聞としても大いに運動を始めることが出ているのが目についた。心強い限りである。期待をしてもよさそうな雰囲気が出て来た。

履歴書は手で書かせよう。そんな企業がここ二三年急激に増えてきたそうだ。だれが見てもだいたいの性格はすぐにわかるからだろう。高校の音楽、美術、書道の選択数も最近は書道人気なのだそうだ。
この四行ほどの話は、2月16日大阪シルバー展の反省会の席でたまたま隣り合わせになったので出たこと。相手は由源社の三岡天邑氏(日本書芸院福祉生涯学習部長)。この話はもっと続いたが、今日は急ぐので続きは来月。

江口大象 (書源2014年4月号より)

 
   

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です