投稿日: 2013-05-06
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
中国人がそうでもなかろうに、だとしたら日本人の私が中国の景色を見て育ったからそうなったのか。ともかく私は根が茫洋としている。
人生どうでもいいことが多過ぎることのように思えて、たいていのことには文句を言わないことにしている。成りゆきまかせにする生き方に馴れてしまうと気楽でいい。大本だけをしっかり抑えてさえおればしかしそれもどれが大本かも本当のところよくわかっているとはいい難い。まあそれでもいいじゃないかと片方では考えている自分がいる。
作品でも本当はどうでもいいようなものを書きたいと思っている。思っていながら出来ないだけ。
いつかどこかに書いた。太陽が地平線から出て、西の数キロ離れた豚小屋の方へ沈む光景をはぼ毎日見て、たまには塀にもたれかかったまま死にゆくだろう人の姿を小学校の行き帰りに見ていたりすると、人間の生死がお友達感覚になるというか、だいたいすべてが「運命」で片付けてしまう癖がついてしまっている。
大人になったらどんな職業につくなんてことも決めて決められるものでもなし、希望通りの職につけても現在満足している人が何割いるのか。どの瞬間に今の職業に就くようになったのかを一人ひとり考えてみるに、ほとんどが偶然の積み重ねの上、ではないのか。
結婚もしかり、子供の成人後の道もしかり、じたばたせぬ方がどれだけ楽か。
3月の月初めに「墨」が特集を組んだ書家32人による「わたしの人生訓・座右の銘」なるものの号が送られて来た。昨年12月の初旬だったか大して迷うことなく「五風十雨」と書いた。何か別のことばはないかと1日くらいは悩んだのであるが、思いつかなかっただけの話。
32人中知らない人、名前は聞いていても話したことのない人などが10数人。しかし作品、書いてあることば、コメントなど心ゆくまで楽しませてもらった。
江口 大象 (書源2013年5月号より)
コメントを残す