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昔の字 今の字

 ずっと前、数10年前に、青木大寧氏の紹介で電通のコマーシャルの文字を書いたことがある。青木氏は電通の書道部を数10年間にわたり教えていた。停年後の社員の人がわが璞社へ今でも数人はいって来られている。

 「○○霊園」と書いた。○○の部分は昔過ぎて忘れてしまっている。それが何回か新聞に出て、しばらく経ったあと、それを動画にしようとしたらしく、撮影室に呼ばれて、薄い紙に書いているところを下から写すことになった。
 4、5回書いたところで用意した材料が終わったのはいいが「全然違う」のひとことでこのコマーシャルはボツになってしまった。
 はじめ何をいわれているのかわからなかったが、しばらくしてわかったことは、黙っておれば前回通り、前回とそっくりの字を書いてくれるものと思っていたらしい。しかしそれがわかるまでちょっと時間がかかった。書きはじめる前にひとこと「前回どおりの字で」といってもらえれば私は何の気負いもなくサッと書けたものを、私は、「前回とは違った味の字」を書くことに懸命だったのである。
 書家は同じことをするまいと思いながら書く。素人はサインと同じで、同じ字は同じに書いてくれるものだと思っている。あたりまえといえばあたりまえの話。何の打合せもなしに始め、双方気持ちが伝わらないままに終わってしまったが、もしかしたらあの時、本人でなく代理人が来たのではないかと思われたかもしれない。

 少し違った話。書家はいろいろ変わった味の字は書けるが、それはあくまで「今の字」であって、「昔の字」を今書くのは無理である。「人書倶に老ゆ」ということばがあるが、書風は年令とともに少しずつ変わってゆくもので決して後戻りは出来ない。少なくとも私はそうである。昔の字は書けない。
 ついこの間私の40数年前の読売書展入賞作のコピーを送ってきた人がいて、久しぶりにわが超大作に感じ入った。読売書法展に移行する前のあの展覧会は、全紙を糊つぎした4×3メートルくらいの大きな紙に書いたので、家では書けずにお寺を借りていた。借りるから1日で仕上げなければならない。
 胸を張ってドーダといっている。品は落ちるがなつかしい。

江口大象 (書源2012年11月号より)

 
   

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