投稿日: 2012-09-08
カテゴリ: 巻頭言(江口大象)
自分の欠陥がわかっていない、又わかろうとしない人については論外として、ここではわかっているのに直らないと思っている人のことを少々書いてみる。
一番簡単なのは前号で書いた先人に倣い、それを個性として生涯貫くことである。これは簡単でよろしい。しかし貫いた結果、愚にもつかない作品を書き続けて、自己満足だけの無駄な一生を送った人はどれくらいいたのか、揚州八怪の諸人だって一歩間違えば。こんなこといい始めると時代背景まで論じる必要に迫られるので又ゆっくり後日に廻そう。
話は一気に璞社、書源の人たちへ。「自分の欠陥がわかって直したいと思っているのに直らない、どうしましょう」と、もどかしい思いをしている人へ。
姿勢か筆癖か、とまず思ってみよう。もう少し単純に、筆か紙かと疑い、長年馴れ親しんできたそれらを変えてみる勇気が必要な場合もあろうかと思う。筆は羊毛か兼毫か、全部下ろしているか、どこまで固めているか、太さは?
要するに何か一つのことに拘わっていないかどうかの問題で、筆の洗い方一つにしても、全然洗わない人から黒さが全くといっていいはど消えるまで徹底して洗う人まで。私はどの辺だろうと思ってみる。
筆が割れる人はたいてい手入れが悪いと思った方がよい。墨カスが根元にたまってそこがダルマのように膨らんでいないか。もし膨らんでいたら絶対割れる。もう一つは転折やハネごとに、筆管を時計廻りにちょっと捻る人。この癖の人は割れるし線が浅くなる。
筆はわざわざ割る人もいるし、数本の毛をわざと横に出して書く人もいる。また、そんな筆を特注する人もいると聞く。要は割れ方と割れたときの心境の問題で、楽しむゆとりがあればいいのである。
※揚州八怪とは、清朝乾隆期(1735-1795)頃に現れた揚州を代表する一群の文人書画家をいう。汪士慎・李鱓・金農・黄慎・高翔・鄭燮・李方贋・羅聘のほかに数人を加える説もあり、八怪とはいえ必ずしも八人というわけではない。揚州は漢代より塩業が発達したが、ことに塩商人は大きな利権を得てその豪勢な生活ぶりは天下に知られた。彼等はその巨万の富をもって積極的に文化・芸術のパトロン的な役割を担い、競って楼閣庭園を築き書画を多く求めた。揚州八怪もこのような揚州商人の庇護を受けてその芸術を開花させた。彼らは皆、伝統的な教養をもった正統な文人であり、画のみならず詩や書にも巧みであった。
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